ソース誕生異聞

 明治18年、ヤマサ醤油に始まった国産ソースでしたが、たった一年で挫折しています。その後、明治31年の日本醤油大会に出品された国産ソースが注目を浴び、再起の機会が訪れました。明治18年の国産ソースが人々に受け入れられなかったのに、明治31年ごろから作られた国産ソースが愛用されるに至ったのは、考えてみれば不思議な事です。そこにはいかなる理由があったのでしょうか。
 これは私の臆測に過ぎませんが、「甘味」が大きく影響していたのではないかと考えます。つまり、ヤマサのミカドソースは先に見たとおり甘味がまったく加えられていませんでした。明治31年ごろから作られるようになった国産ソースについてのレシピは発見できませんでしたが、そのソースには「甘味」が加えられていたため、日本人に愛用されるようなったのではないでしょうか。日本のソースは甘いのが特徴です。これは、西洋のソースには見られない日本のソースに独特の傾向です。
 あまり知られていない事ながら、日本のソースにはこれからお話するような不思議な誕生秘話がありました。それは、幕末期の薩摩藩でのこと。藩主島津斉彬時代の御用商人として活躍した浜崎太平次の一代記を記した『唐船太平記』には、
「いまでこそ、『ソース』は外国のものだと思っているが、さいしょ輸入されたころのソースは、わが薩摩にゆかりのあったことを知っている人は少ないであろう」
と、奇妙なことが書かれています。
『唐船太平記』によれば、薩摩藩は浜崎太平次らと企てて、当時は輸出禁止品であった「醤油」を奄美大島にて大いに密造し、幕府に隠れてフランス人と交易し利を得ていました。薩摩藩が抜け荷(密貿易)によって「昆布」を琉球・清(中国)と交易し、大きな利潤をあげて藩の財政難を立て直したことは有名ですが、奄美大島で密造された「薩摩醤油」もまた、薩摩藩の利益商材のひとつだったようです。
 江戸時代、日本の醤油は長崎出島から海外輸出されていました。記録に残るところでは、正保4年(1647)に、オランダ商人によって樽詰めされた醤油が初めて輸出されています。また、江戸時代中期の寛政2年(1790)には、オランダ東インド会社によって陶器の瓶につめた醤油が長崎から輸出されるようになりました。日本の醤油は海外で人気があり、高値で取引されていました。醤油は西洋料理の隠し味として使用されていたそうです。このような長崎での「もうかる話」に薩摩藩が着目しないわけがありません。
 「おいどんも醤油を外国人に売るでごわす」
となったわけです。
 ちょうどその頃、フランスに密輸した薩摩醤油を口にしたひとりのイギリス人食料研究家がその味に感動しました。そして「これは将来、すばらしい東洋人むきの調味料になるにちがいない」と目をつけました。
 以降、『唐船太平記』をそのまま引用します。
「このイギリス人は『薩摩醤油』の醸造法を基礎にしていろいろと工夫をした結果、意外にも東洋人の好みに適したいわゆる『ソース』の一種を発明し、それがまたひじょうに歓迎されるようになった。最初、わが国の人々はこの裏面の事情を知らなかったので、このソースの一種を『西洋醤油』とよんで、大いに珍重がったそうであるが、そのおこりはわが薩摩の醤油にあったわけである。」
 また、『唐船太平記』はこうも記しています。
「日本に輸入したソースは、薩摩の醤油にソースの味をくわえたものだったのではないだろうか」
なんと、ソース(西洋醤油)とはいわば「かたり」で、その実態とは、薩摩醤油だったというのです。
 この話しに登場する密輸品の「薩摩醤油」は、薩摩藩の特産品であった黒砂糖の生産地、奄美大島で醸造されていました。甘味たっぷりの味つけがなされていたことは疑えないでしょう。今日でも鹿児島産の醤油といえばたいへんに甘いのが特徴です。その強烈な甘さから、鹿児島の醤油を食して、
 「これは醤油じゃなくてソースだろう」
と感想を持つ人も多いのです。
 奄美大島で醸造された「甘い薩摩醤油」に、イギリス人の食料研究家の工夫が加わり、(おそらくは酢や香辛料などが添加され)それは東洋人の好みのソースとして人気を博すようになりました。
 当時の日本人たちは「舶来ソース」を手本にして国産ソースを作ったつもりでありましたが、その実、イギリス人の食料研究家の工夫のたまものである「甘い薩摩ソース」を手本にしていたのです。それが、明治31年ごろから作られ日本国内で人気を得るようになったソースだと長兵衛は推測します。
 先ほど長兵衛は、「長崎出島からオランダ人の手によって海に渡った輸出用醤油が、ヨーロッパ放浪の長旅の末、ソースとなって日本へ『里帰り』したんじゃないか」と、ロマンチックなことを申しましたが、醤油の旅路は極めて手短かでした。例えば、オランダに行かず長崎ハウステンボスで済ませてしまうような、スペインに行かず志摩スペイン村、ハワイに行かず熱海で済ませるような、そんな短距離旅行だったのです。それを「ヨーロッパの舶来品」だと思って有りがたがっていた明治の日本人、なんとしたこと、イギリス人の食料研究家の高笑いが聞こえてきそうです。
 自慢するわけじゃないけど、こんな話、当ホームページじゃないと聞けないでしょ。
 日本のコロッケのルーツなんていうものも、案外、日本の食文化の伝統のなかに見出されるのかもしれませんね。メーテルリンクの「青い鳥」の寓話のように、探し求めているものは、身近なところにあるのかも。
 以上で、長兵衛の話は終わりです。最後まで、おつきあいくださりありがとうございました。


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