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昭和初期の千保川の様子
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地元高岡には、「泣き荷方節」という民謡が伝承されています。荷方節は、全国津々浦々にありますが、高岡の荷方節になぜ、「泣き」とついているのか、その理由は定かではありません。ひとつの由来譚として、次のような伝承が伝わっています。
「むかし、金沢・高岡・富山の三町から、人夫を集めてお城の普請を行った時、前田のお殿様が普請の工事現場を視察されたので、お殿様をもてなそうと、人夫たちは町ごとに芸を披露することになった。皆、とびきり上等の芸を殿様に見てもらおうと思い、金沢のものは謡曲を、富山のものは浄瑠璃を披露したが、高岡のものたちは気の利いた芸が何もない。そこで、いつも歌っている仕事歌を歌ったら、まわりから「なんじゃ、その歌。まるで泣いているようではないか」と笑われ、高岡の一同は困りはて、本当に泣いてしまった。それからその仕事歌は、泣き荷方節と呼ばれるようになった」というのです。なんとも、格好の悪い、かわいそうな話でしょ。これによると、「泣いているようだから泣き荷方節」とのこと。
泣いているような歌というと、フランスのシャンソンやポルトガルのファド、日本の演歌、韓国の怨歌等を思い出される方もあるかと思いますが、「泣き荷方節」とは、どのような歌なのでしょうか。今では、高岡でもなかなか聞くことの出来ない昔歌となっています。
「泣き荷方節」は、小矢部川や千保川の水上輸送に携わる者達の作業唄として二上・木町・塩倉町・川原町で歌い継がれてきました。現在伝承されている「泣き荷方節」が、昔とそっくり同じ歌であるのかどうかは分かりませんが、「泣き荷方節」には、哀愁を帯びた独特の節回しがあります。「あー 」と大変に長くのばす、声で始まっており、これに悲しげな抑揚をつけますので、泣いているようにも聞こえます。泣き荷方節には幾つもの種類があります。歌詞も様々で仕事歌というよりも、お座敷やお祝儀向きの内容のものもありますが、出だしが「あー 」と長くのばす声で始まるのは共通しています。
あー
こなたのお人の 路地には うぐいす鳥が 来て止まる
どういうて鳴く 声聞けば ただ 京、京、と鳴くばいのう
京より広い 大阪を 逢坂越えて なんと島
唐と日本の そのあいを 船に宝を 積み上げて
こなたの館へ いそいそと
あー
富山の浄瑠璃 金沢の謡い あいの高岡 なきにがた
かつては、小矢部川や千保川行き交う舟人たちが舟の櫂をきしませながら、また、岸辺で舟の荷物の積み下ろしをする大勢の荷方たちが重い荷を背負いながら、この唄を朗々と歌ったのです。そして、子どもが歌うことは許されず、元服酒の振舞いの儀を終えた成年男子のみが歌ったとのこと。泣き荷方節を歌うことは、一人前の男の証でもあったのです。
前項でお話した「泣き石」とこの「泣き荷方節」。ともに「泣き」とついていますが、何か関連はあるのでしょうか。
もしかすると、方広寺大仏殿での前田利長の石曳き部隊は、「泣き荷方節」のルーツとなるような歌を歌って石曳きをしていたのかも知れません。案外、それが「泣き石」の名の由来となったとは考えられないでしょうか。
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冬の小矢部川河岸風景 高岡在住の桂井さんの作品
かつてはこの風景の中に、荷方節を唄いながら川を行き交う舟人の姿があった。舟人の仕事歌の発祥は万葉集の時代にまで遡るようだ。 |
朝床に聞けば はるけし射水川 朝こぎしつつ 唄う舟人 |
大伴家持
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