(へ)有磯正八幡宮の石灯篭
有磯正八幡宮にある石灯篭 
 横田町の有磯正八幡宮は福岡屋清右衛門家(岡本家)のすぐ近くにあります。ここ有磯宮にある石灯篭は、弘化3年(1850)に奉納されたもの。前出の高辻屋與右衛門の世話で江州中郡(近江)のかせ屋仲間が奉納しました。高さは約3メートル余、御影石で出来た立派なものです。
 この石灯篭には「廻船 城安丸 茂七」「廻船主 布屋市郎兵衛」「施主 高辻屋與右衛門」の名が見られます。布屋市郎兵衛は近江の中郡能登川村の商人です。高辻屋與右衛門と城安丸茂七と近江商人布屋市郎兵衛。これもかつての商取引の一端を伺わせるものです。
 布屋市郎兵衛が居住した近江の中郡能登川村は近江商人たちの本拠地のひとつ。麻布と麻製品の製造そして販売がさかんでした。特にこの地方で産する麻製の蚊帳は、江戸市場において爆発的人気を誇った商品であり近江商人たちの重要な利益商材でした。
祭りの日の麻のれん
 高岡と隣接する砺波・福岡・小矢部・石動(いするぎ)は、古くからの麻の原料チョマの産地でした。この一帯では「八講布」と呼ばれる麻織物が織られ、江戸時代初期、すでにその名は加賀の名品として有名でした。八講布や麻のかせ糸は、高岡に集散されて布屋市郎兵衛のような近江商人によって近江へと運ばれました。そこでかせ屋仲間たちに手渡り麻布となりまた蚊帳などの麻製品に加工されていたのでしょう。
 当時の海上輸送には海難事故も多く、海上安全の祈願は廻船商人たちの心の拠り所でもありました。有磯正八幡宮は別名「鍋宮さま」とよばれ金屋鋳物師たちの崇拝する神として知られていますが、この神社に祭られる有磯(ありそ)神は元来、海の神様です。航海の安全祈願の灯篭が奉納されるのは当然のことです。
 このように高岡は、幕末期において力量ある綿問屋が居住する綿の集散地であったのみならず、歴史の古い麻の集散地でもあったのです。近江商人布屋市郎兵衛は麻の取引だけでなく高岡商人たちと綿取引をも行っていました。高岡綿商人に対して資金融資もしていたそうです。近江商人布屋市郎兵衛は綿取引の「黒幕」というところなのでしょうか。綿と麻との流通システムがどのように関連し連動しあっていたのか興味深いところです。
 また、布屋市郎兵衛は別名、紅屋市郎兵衛とも呼ばれており奥羽地方の紅花の買付けや輸送にも手広く介入していたのこと。高岡染色との関りも深い人物なのかもしれませんね。
 ちなみに、この布屋市郎兵衛さんは、滋賀県では歴史に残る有力商人であり、鐘紡とともに紡績業界の双璧をなす東洋紡績の創始者のひとり阿部房次郎氏のご先祖様であるとのことです。阿部房次郎氏は紡績業のほかレーヨン製造業にも進出。日本の繊維業の近代化に大きな貢献をした方なのです。当地有磯宮の灯篭は阿部家のルーツを伝えるものと言えそうですね。
有磯正八幡宮の境内
奥に灯篭一基が見える。その奥の石鳥居は岡本(福岡屋)清右衛門によって寄進されたもの

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