追記1
 この日「隠れキリシタン料理」を食しに七尾市本行寺に集った人は、私のごとき「食欲人間」のほか地元誌の新聞記者、和倉温泉の旅館の料理人、隠れキリシタンに興味を持つ人、茶道を愛好する人と様々。その中のひとりに、関根和美さんがおられました。関根さんは、ライフワークとして高山右近の調査研究を本にまとめておられます。著書『私の高山右近』は、関根さん自身がフットワークと人とのコミュニケーションを大切に、右近の足跡を追跡調査された実に興味深い内容。調査は、遠くマニラにも及びます。関根さんは、この本の中でわが町高岡への訪問記も記されています。本の出版元はなんと大分の高山右近子孫の方が経営される轄nR活版社です。
 
追記2
 この道中記を書き終えた後に、長崎県の隠れキリシタンの里、生月島の方から 、生月島の隠れキリシタン料理について次のようなの報告をいただきました。
1. 壱部集落のかくれ行事の時に出される御飯は、飯椀に山盛りに高く盛る。それを「番岳盛り」と呼ぶ。これは島の最高峰である番岳の山容に似ているからだそうです。
2. 10月頃に行われる「お弔い」という行事は、カトリック行事の「死者の日」に当たると考えられるが、この行事を別名「ボブラブルミャー(ぼぶら振る舞い)」といい、その日親戚などに寄って貰い、ぼぶら、すなわち今年取れた南瓜を料理して食べて貰うという。
3. 烏賊墨の料理は、秋のかくれ行事でも出てくる事はあるが、どちらかというと、平戸地方でオクンチと呼ばれる、神社の秋の例大祭の際に、招待客に振る舞われる料理として通っています。因みにここ同様烏賊が沢山取れる隣県佐賀県の東松浦半島では、黒身和えという料理はないそうです。
4. 生月島には、岩野上醤油という醤油屋があります。これがめったやたらに甘い醤油なんですが、島の人達は中毒になっていて、刺身などを食べる時はこの醤油でないと駄目という人が多いです(かく言う私もその1人です)。
 
生月島 中園様より

 本行寺のボブラ講と似た「ボブラブルミャー」なる行事やイカ墨料理が生月島にもあるなんて!
 また、この地方でも能登と同様、ふぐ食がさかんであるとのこと。もしや、ふぐ食もキリシタン食文化なのでしょうかねぇ。キリシタン大名の大友宗麟は豊後海道のふぐをとても好んで食べたという話は聞いたことがあります。
そして、めったやたらに甘い醤油がこの島には存在している・・・。
 中園さん、かくいう私も甘い醤油の中毒患者ですよ。アーメン!

 
追記3
マリア様改めイエス様?
 キリシタン遺物の研究をしておられる茨城県古河.市在住の郷土史家の川島恂二先生と歌人で高山右近の研究家である埼玉県在住の関根和美さんから、共同解説のおたよりをいただきました。関根さんのことは、先に当ホームページで紹介させていただきました。川島先生の本業は医師。傍ら、40年以上に渡って関東を中心に隠れキリシタンの足跡を追い続け、キリシタンたちの隠された暗号を発掘しておられる優れた鑑定眼の持ち主です。お二人によると、本行寺の人物像は、なんとマリア像ではなくキリスト像だとのこと。解説は次のとおりです。
@ これは、マリア像ではなくイエス像。冠はT頭デウス。髪の毛は長く顔にはあごひげの男性像。
A 胸はハート心臓の医学的な絵図(左心房・右心房・左心室・右心室)とX(アンドレアクルス)を兼ねている。マリア像に心臓が描かれることはない。
B 帯には、2匹の魚(イクトス)を描き、また帯と体中央の紋様で大きな十字架を表している。
C 腰部にはIHS。その下は三位一体を表すデルタ。
または、キリストの受難を象徴する3本の釘。
D 足もとの台は臼で台臼つまりデウスを暗示。
とのご指摘でした。
 なるほどそう言われると、ヒゲを蓄えた長髪の若い男性の姿にも見えてきますね。私は、すっかり、美人のマドンナだと思っていたのですが・・・、そういえば、胸も膨らんでいないし、男性像とすれば両足を肩幅に開いて立っている例の足元にも納得できますね。
胸に心臓を象徴するハートが付されるのは、イエス像によく見られるようです。それにしても、本行寺聖像の胸部に描かれた心臓、位置や傾斜や大動脈・大静脈と思われる線などには、解剖学的な裏付けがあるようでとてもリアル。怖いくらいです。
 帯に描かれた尻尾合わせの2匹の魚は画像ではっきりと確認できますね。言われるまで気付きませんでした。キリストを表す暗号「I X T V S」(イクトス)はギリシャ語で魚の意味で、魚はキリストとキリシタンのシンボルだそうです。また、イエスが五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人々を養ったという聖書の話にちなんで、魚は伝統的にキリスト教の神聖なシンボルとされています。
十字・IHS・三本釘を組合わせた紋章
愛媛文華館蔵 南蛮象牙蒔絵茶入れ
十字・IHSの組み合わせた螺鈿細工の茶入 よく見ると小さな魚の形で文字を表現
 スカート部分の紋様はちょっと分かりづらいですね。十字・IHS・三本釘は、イエズス会がよく使った意匠。現存のものとしては、茶入れ・聖餅箱や教会の鐘や書見台などにこのマークを見ることが出来ます。
 
追記4
天神信仰との関連
 さて、話しは飛びます加賀藩では天神信仰が盛んです。正月の床の間には欠かせない年神様であり、近隣の山から訪れる山神様であり、加賀前田家の祖、菅原道真にちなんだ学問の神様です。天神様の前で書初めをすると字がうまくなるといわれ、長兵衛なども幼少の頃には、天神様の前で書初めをしたものです。残念ながら効果はなかったけど。
 加賀藩の天神信仰は、前田家の先祖が菅原道真であるという藩祖信仰と結びついていますが、前田家の統治以前からこの地には天神信仰が存在していたようです。この起源の古い信仰は、キリスト教禁教の時代、公然と天主(ゼウス)を拝むことの出来ない信徒たちと結びつき、加賀のキリシタンたちは天主(ゼウス)の見立てとして天神様を拝んだのではないかとも言われています。天神は天主・天守に通じる「キリシタンの隠れ蓑」というわけです。
美しく彩色された木彫の天神像 威厳と品位とを併せ持つ名品
菅野伝右衛門家所蔵
 本行寺に伝わる人物像がイエス・キリスト=天主(ゼウス)の像だとすると、まさにそれは加賀の天神様のルーツといったものかもしれませんね。
 そして、さらに想像をたくましくすれば、私たちは、12月25日にお正月の年神様として天神様を床の間にお迎えし、餅や串柿やうらじろ・干した黒い海草・橙・お神酒をお供えしますが、天神様が山にお帰りになるという1月25日には必ず「赤い色の魚」を加えてお供えし、「天神はん、暗い道お気をつけてお帰りください。来年また来てくだはれ。」と手を合わせます。赤い魚は鯛であったりカニであったりメバルであったり。その家の懐具合によります。
 この魚のお供え物の意味もキリシタンの聖なるシンボル・イクトスであったのかもしれませんね。小豆島の郷土史家藤井豊さんにお伺いしたところでは、小豆島で発見されたマリア観音像の台の部分にも赤い魚が描かれており、キリシタンを象徴するイクトスであろうと言われているそうです。
 魚といえば大物がありますよ。天守閣の上に乗っかっている2匹。名古屋城天守閣の金のシャチホコ、あれもイクトスでしょうか?
 天守閣は「天主=ゼウス」を祀ったので天主閣といったのが起こりであり、後世「天守」の字に改められたと言われます。織田信長の築いた安土城には「天主閣」の字が使われていました。
 さて、このように考えてくると、先に言ったことを直ぐに撤回するようでありますが、私にも、本行寺の聖像がすっかりイエス・キリストの像=天主(ゼウス)像に見えてきました。
 先のおたよりの中、川島先生のコメントには「高山右近自作のイエス・キリスト像と思われる。」ともありました。「本行寺聖像は右近自作の天主(ゼウス)像か?!」ますます、ロマンは膨らみますね。この右近自作説を信じるならば、高山右近の人生のどのような場面でこの聖像は彫り上げられたでしょう。
 いずれ時を改めて、私の考えを述べてみたいと思います。

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