Z.瑞龍寺山門
 ―高岡町衆パワーを結集して再建―
 三代藩主利常公により二代利長公の菩提寺として瑞龍寺が建てられてから、350年あまりが経ちます。その間には様々な修理をしながら現在まで受け継がれています。延享3年(1746)には火事によって山門・七間浄頭・禅堂が消失してしまいました。瑞龍寺建立から約90年後のことです。江戸中期には、前田家の財力が利常公の時代ほどではなかったので、山門は仮のものが建てられたままでした。山門が再建されたのは、それから70年以上を経た文政3年(1820)。藩の力だけではなく、高岡の町衆たちが多額の援助をしたのです。山門再建の棟梁は山上善右衛門吉順でした。瑞龍寺山門は仏殿・法堂とともに国宝の指定を受けています。
白く清らかな石が敷き詰められた前庭の奥に、山門はある。総門から見た様子。
 
山門を守るのは左右に安置されている金剛力士像。
ここから先は聖域だという結界感を示している。
 
とても緻密な構造の木組み。この時代には珍しく和算が設計に取り入れられているという。 高岡山の字は黄檗宗の隠元和尚の筆。
 
回廊へとつながる。
 
石工と大工との技の融合に感嘆。立派な木材は現在では手に入らないものだという。
瑞龍寺山門再建には、高岡商人たちが多額の費用を負担した。材木の調達などに貢献の大きかった福岡屋清右衛門には、その褒美として瑞龍寺より隠元和尚の筆による「無尽蔵」と書かれた書が贈られた。
山門をくぐるとそこには青々とした芝生が生ゆる別世界が広がっている。白い石と青い芝生との鮮やかな対比。俗界から聖域へ。他の寺院にはない美意識だと思う

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