Y高岡関野神社

 高ノ宮の呼称で高岡の人々に親しまれる関野神社。毎年5月1日に行われる高岡御車山祭りはこの関野神社のお祭りです。しかし、高岡の町に住みながら関野神社のことは意外と知らないのが本音。関野神社ってどんな神社なのでしょう。
 関野神社は、慶長9年(1604年)射水郡水戸田村(現在の大門町)の熊野神社の分霊を高岡上関村に勧請し、熊野宮と称したのが起こりだそうです。関野神社のルーツは熊野信仰にあるのです。後に、高岡神社・加久彌(かくみ)神社と合祀され現在の高岡関野神社となり、現在地に移されたのは文化3年(1806年)。今から約200年前のことです。江戸中期以降の高岡綿商人たちの大成長に伴い、関野神社も立派な形にリニューアルオープンしたのです。
(上) 前田氏の家祖菅原道真、そして高岡の開祖利長公も御祭神となって祀られている
(右)本殿


(下)前景 大鳥居と灯篭       
大鳥居には、文化13年(1813年)の年号。
施主は高岡の医師、松田三知。松田家は代々続く医者の家系で前田藩主のお世継の眼疾を治療するほどの名医として知られた。詩文俳諧にも長じていた三知は高岡町人のリーダー的存在だった。この花崗岩の大鳥居には、「運送世話人、増葉丸船頭久治郎・幸福丸同弥三八・福吉丸同伝兵衛」と運送に関わった船の船頭たちの名も刻まれている。

灯籠は慶応2年(1866)に奉納されたもの。
高岡の綿問屋たちの名が連ねられている。
福岡屋清右衛門は福清、横田屋吉左衛門は横吉、綿屋儀兵衛は綿儀、高辻屋與右衛門は高與、糸屋仁三郎は糸仁と、短縮呼称で書かれている。商人たちの印もおもしろい。
帯三・綿仁・忠清・小久・奥佐・萬甚・櫻正・松新など大阪や堺商人たちの名も刻まれおりかつての綿取引きの一端が伺われる。加賀藩から、綿販売の独占権を認められていた高岡は日本海側随一の綿の集散地であった。
積船
城安丸 茂八
七良丸 七左衛門
正寿丸 善治良
加得丸 伊三良
栄得丸 吉右衛門
淑徳丸 與兵衛
辨天丸 安左エ門
戎丸  又三良
徳兎丸 升四良
加得丸 冶良七
北前船の廻送業者たち
の名も見られる

高岡は鋳物の町。関野神社の狛犬もブロンズ製。
牛は「邪念を去って学問向上、芸術上達、神経痛平癒?!の願いを込めてなでる」とご利益があるそうだ。


昭和・平成の作品

高岡市保存樹木の指定を受けているシモクレンの古木。
鮮やかな色に目を奪われる。
毎年四月上旬が見ごろ。

右大臣左大臣とよんでいるが正式には「随身」。天井までとどきそうな大きな座像だ。立つと3メートルほどありそう。高岡市の仏師、本保氏が明治期に作ったもの。

御車山が納めてある蔵。
昭和50年代の建設

 


高ノ宮名物宮田の鯛焼き。あんこがたっぷりでおいしい。
特注で作らせているという自慢の型を披露してもらった。
この型で1匹ずつを丁寧に焼いている。一匹120円也。


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