・鱒の寿し
 富山の駅弁「鱒の寿し」は人気商品です。北陸線サンダーバード号で「富山名産、まぁーすぅのすし、富山名産、まぁーすぅのすしの販売をおこないまぁーすぅ。」とくせのあるアナウンスが流れると、旅人の皆さんは何やらいっせいにお財布の準備をされている様子です。
 鱒の寿しの魅力はまずその見た目にあります。丸い曲げわっぱの形をした風情ある容器は富山の鱒の寿しの典型的な形です。放射線状に丁寧に包まれた青い笹の葉を一枚一枚めくっていくと中から、鱒のやさしいピンク色が顔をのぞかせ、食いしん坊たちのワクワク気分を刺激します。この笹の緑と鱒のピンクとの鮮やかな色のコントラストが、とても印象に残りますね。
 鱒の寿しが、いつからこのスタイルになったのかは定かではありません。明治期に富山市内のあるホテルが駅弁用に開発したものが起こりであるとおっしゃる方もいれば、江戸時代に神通川の船橋のたもとの茶屋で街道を行き交う旅人たちに売られていたのが始まりとおっしゃる方もいます。鱒の寿しの始まりが明治時代の駅だとしても、江戸時代の茶屋だとしても、鱒の寿しが旅人の疲れを癒し、心を和ませ、おいしい旅の思いでとなる役割を果たしてきたことに変わりはないようです。
現在の鱒の寿しは酢飯を使った「早すし」ですが、古くは米飯に麹を混ぜそれに魚を挟んで発酵させた「なれずし」であっただろうとされています。「なれずし」では酢を使いません。麹菌による米の乳酸発酵から生成される酸味で魚を長期保存します。「早すし」はその名のとおり酢を用いてスピーディに作ったすしです。時代を経ていつころからか鱒の寿しは「なれずし」から現在の「早すし」へと変化していったのです。
 しかし、富山市内の鱒の寿し屋さん「前留」のご主人にお伺いしたところ、近年まで、年に1回歳暮れの12月にはお正月に食べる「晴れ」の寿しとして米飯にこうじを混ぜて作る「なれずし」を丹精込めて作っていたそうです。「なれずし」の伝統もちゃんと継承されていたのです。最近は歳暮れの「なれずし」作らなくなったと聞き残念に思いました。
 近年は鱒のすしだけでなく、かぶら寿司、黒づくり、漬物、そして味噌も発酵食品は全て「早漬け」の傾向にあるようです。しかし、「熟れ(なれ)」の良さもまた見直したいものです。

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