柿の話
 柿のお話をしたいと思います。農家ではどの家もよく敷地内に柿の木を持っています。秋が訪れると柿が赤く色づくのが待遠しいですね。都会でふるさとから柿が送られてくるのを楽しみにしておられる方も多いかと思います。富山では水島柿や平種無柿など、味のよい生食用の柿がたくさんとれ秋の味覚として私たちを楽しませてくれるのですが、柿には生で食べるだけでなくとても広い用途があり、私たちの生活の中に知らないうちにも柿は関っているのです。それは先人たちの深い知恵によって構築された「柿文化」ともいうべきもの。ここでは、富山の柿渋、柿酢、干柿、串柿をご紹介します。とくに、柿渋、柿酢は「発酵」によって生成されるとても興味深いものです。

・柿渋のこと
 柿渋は渋柿から作ります。柿渋と渋柿、少し紛らわしいので、注意してくださいね。8月の下旬ころになると渋柿が青い実をつけ始めます。柿渋はこの青い渋柿を「発酵熟成」させて作るのです。昔は「渋屋」の屋号でよばれる裕福な農家が青い渋柿を各農家から買い集め柿渋を作っていたそうです。
製造工程はおおよそ次のようです。
摘みとり 柿の渋味がつよくなる8月下旬ごろ、竹竿で青い実をもぎとる。
粉砕 水洗いの後、臼と杵で渋柿をつく。丸い柿を杵でつくのは難しい。現在は粉砕機を使用。砕かれた渋柿を「もろみ」という。
圧搾 搾り桶で渋を搾る(一番渋)絞りかすに少し水を混ぜもう一度搾り桶で搾る  (二番渋)
仕込み 「とうご」とよばれる大桶に一番渋・二番渋を合わせて仕込む。
発酵 発酵が始まる。1日何回かかき混ぜる。一週間ほどで発酵は止まり全体的に均等な色の濃さになる。
圧搾・濾過 もろみに水を加え麻袋に入れ「ふね」で絞る。
貯蔵 涼しいところで寝かせる。沈殿物「おり」がさがったら上澄みをとる。これが柿渋。何年もすると柿渋は茶褐色に変色する。これを「玉渋」と呼ぶ。
 醤油の製造工程との類似点がいくつか見られ興味深いですね。また、赤い柿ではなく未熟の青い柿を使用するところが柿渋づくりの要のようです。
渋柿を搾り桶でしぼる。てこの原理が使われている。(公益国産考:江戸期)
 柿渋づくりは広く日本全国で行われていた、大変古い時代からの日本人の知恵です。その用途は驚くほど多様です。全てを書き尽くすことはできませんが、いくつか例をあげてみましょう。柿渋がいかに重宝なものであるかがわかると思います。
<布を染める>
  柿渋には防虫効果があり、染め上がりは布の強度を高める効果もあるので労働着の染料として頻繁に使用されていました。山伏の着る法衣も柿渋染であったそうです。現在では、独特の染めむらや自然の風合いが好まれ草木染めのひとつとして染色愛好者に人気のある染料です。
<漁網を強化する>
  漁に使う綿糸の網を柿渋につけておくと耐水性が強化され網が丈夫になります。また、網さばきもよくなるそうです。船体の腐食を防ぐため、漁船にも塗っていました。
<酒を濾過する>
  酒造所では酒を絞る酒袋に柿渋を塗って布地を強化したり、木桶・木製の醸造道具に柿渋を塗って耐久性・撥水性を増強したりしていました。そして柿渋には清酒に含まれる未分解淡白質を沈殿させ除去する働きもあります。絞りたての酒は白く濁っていますが柿渋を混ぜて濾過することで清澄な酒ができるのです。この濾過方法は現在も利用されています。
<塗料として建物や漆器の下地に塗る>
  建物や汁器に漆を塗る下仕事にまず柿渋を塗ります。また、ベンガラと混ぜて塗料として使用したものは天井板や格子に塗られます。現在、人体に害のない自然塗料として再び柿渋が見直されています。
<紙に塗る>
  防水効果を利用して染色用の型紙や糊筒、和傘、雨合羽などに塗られていました。
<柳行李に塗る>
  富山売薬さんのトレードマークである柳行李にも表面に柿渋が塗られています。丈夫な柳行李は厳しい風雪にも耐え、薬の品質を守りました。また、売薬さんの柳行李の中身に目を移せば薬袋やおなじみのおまけ「紙風船」も柿渋紙で作られていました。紙の糊付けには蕨を原料とする蕨糊が使われていましたが、この蕨糊にも柿渋が含まれていたそうです。
その他、テニスラケットのネットの塗料・なめし皮の塗料・漢方薬や化粧品の原料などに柿渋は現在も利用されています。
柿渋染ののれん
番傘
渋紙と糊筒とはけ
染色の型紙
 先人たちは長い歴史の中で、柿渋に含まれる「タンニン」が「発酵」という過程を経て、先にあげたような様ざまの不思議な効力を発揮するに気付き、生活の数々の場面にその効力を活かしてきたのです。かつては、どの町どの村でもさかんに柿渋が作られていました。しかし、化学塗料、化学接着剤、化繊漁網などにその需要を押され、今ではあまり作られなくなってしまいました。
 富山では今でも、ただ一軒の業者さんのみが柿渋製造を続けておられます。富山市平岡の神代敏正さん(67歳)です。神代さんでは柿渋づくりのほかにお茶に製造販売もしておられます。お尋ねすると、神代さんの家の前には「製茶製渋」の看板がかかっていました。柿渋とお茶との兼業は全国的によく見られるそうで「よい渋柿のとれるところによいお茶がとれる。これは土壌の質による事。」と教えて下さいました。神代さんのところで栽培しておられる柿は「平種無柿」という品種です。
 かつて神代さんの住む平岡では柿渋づくりが盛んで、神代さんのほかにも20軒ほどの業者が製造していました。平岡地区の柿渋は主に漁業用の網の強化剤として使用されていました。網を約2倍に希釈した柿渋に浸しておくと、網は丈夫になりまた網裁きもよくなるのです。とくに、綿糸でできた地引網・刺し網・袋網には、柿渋が欠かせなかったそうです。富山の漁師たちは柿渋で網を染めることを「かっちん染」とよんでいました。「かっちん染」は網の乾燥、網の繕いとならんで陸に上がった時の漁師たちの大切な仕事のひとつでした。昭和10年代は綿漁網の最盛期であり漁網用に大量の柿渋需要があったため、平岡では柿渋づくりのシーズンともなるとにわかに活気づき、15日間ほどは寝る暇もないほどの忙しさであったとのことです。優秀な技法で定評のある伝統的な富山の漁法を、平岡地区の柿渋が影ながら支えていたのですね。
 漁網の素材は戦後、急速に化学繊維に移行しました。麻や綿の漁網が姿を消していく中で、柿渋の需要も激減しました。「今では、北陸三県で柿渋を製造しているのはうちだけだろう」と神代さん。
 現在、神代さんが作る柿渋は主に金沢の漆器屋さんの木地の地塗り用に使用されています。遠く離れた地方の漆器屋さんからも神代さんの作る柿渋を求めて注文があるそうです。また、加賀金箔の製造にも神代さんの柿渋は使用されています。金箔と金箔との間にはさむ箔打ち紙とよばれる和紙に柿渋が使われているのです。金箔と箔打ち紙を交互に何枚も重ね、束にしたものを打ち出し機で一万回以上も打って薄く薄く伸ばしていきます。紙が丈夫でなければ箔打ちに耐えることができません。また、紙の表面に程よい滑りがなければ金箔を薄くまた均等な厚さに伸ばしていくことができません。箔打ち紙には柿渋のほかに卵・藁の灰汁などが含まれており、その配合割合は金箔職人ごとの秘伝とのことです。
 加賀百万石の雅を今に伝える金沢の伝統工芸、漆器と金箔。目に見えぬところで神代さんの作る柿渋がしっかりと支えています。
加賀金箔  仏壇・漆器の装飾をはじめ、食用としても使用される。ふっと息をかけると浮き上がるほどの薄さにまで伸ばし仕上げる。柿渋の箔打ち紙がはさんでないと金箔はうまく延ばせない。
 最後に「柿には棄てるところがない。甘い柿は生で食べ、渋柿はさわしたり、干柿にして食べる。また、柿渋にする。柿渋をとったときに出る絞りかすやおり(沈殿物)は地中で窒素化して肥料にして柿の木に与える。柿の葉は落ちて柿の木の肥料になるが、お茶にしてもおいしい。柿の葉茶は健康にもよい。」との神代さんの言葉が心に残りました。柿はまさに天の恵みですね。
神代敏正さん 富山市平岡 電話076-436-6006
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金沢市森戸2丁目1-1   
電話076-240-0891

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