・殿様正月料理の再現
 私はこの取材を進めるうち、「殿様の正月料理」を再現したという板前さんに会うことができました。板前歴45年というベテラン 山崎正雄さん(高岡調理師会会長 高岡市角284-6 )です。皇室家の方が高岡を訪問された時には、御膳の用意に携わったというすばらしい経歴を持つ山崎さんですが、この「殿様の正月料理」の再現は大変な無理難題であったと後を振り返っておられます。調べ物などを含め準備になんと2ヶ月以上を要したそうです。
 「一番苦労された点はどんなところか」という私の問いに対しては、「それは、器です。」という少し意外な答えが戻ってきました。「当時の大名の料理に一体どのような器が使用されていたのか分からなかった。器が決まらなければ料理も決まらない。」とおっしゃいました。加賀の殿様の御膳ならば、豪華な九谷焼きの器であろうと私などは安易に思ってしまうところですが、この「殿様の正月料理」に使用されている器は平たいシンプルな素焼きの陶器。「ちうわ」という平皿です。この「ちうわ」に「亀足(きそく)」という折り紙で作った飾りを組み合わせ、そこに料理を盛り付けています。
青手牡丹図平鉢 古九谷
石川県九谷焼美術館
 九谷焼の創業時期についてはいろいろな説があるようですが、一般には明暦元年(1665)頃、加賀藩の支藩である大聖寺藩主の前田利治が、家臣 後藤才次郎 を肥前有田に派遣。製陶の修行をさせてその技術を導入し、加賀国江沼郡 九谷村 に窯を開かせ、田村権左衛門を初代陶工として九谷焼きを始めたと伝えられています。寛永6年(1629)は、いまだ九谷焼き創業前夜だというわけです。加賀文化の代表、世界のその名を誇る九谷が存在しない時代の加賀料理の器とは如何なるものか・・・・・。私など想像もつきません。当時の史料の中に、器にふれているものはなかったそうです。そこで、殿様正月料理の再現では、器の装いを室町期の正月の儀礼に倣うことになりました。江戸時代初期まで儀式儀礼に、色物の器は使わなかったそうで、今でも結婚式の三々九度で御神酒 を飲むとき素焼きの盃で飲むように、儀式儀礼の時は、神道的な装いをしていたらしいです。色物の器を使うようになるのは、元禄以降のこと。焼き物が美術品として見られるようになってからと考えられているそうです。
 また、御膳も普通の御膳とは違うもの。足のとても高い殿様用の特殊な「高御膳」を高岡の老舗漆器店や旧家を探し求めて調達したそうです。なるほど、山崎さんのこだわりはすごい。
 図書館や金沢の料亭へたびたび足を運び書籍や古文献を調べ、料理研究者や歴史研究者にも意見を求め、創意工夫を凝らしに凝らして、山崎さんを中心とする高岡調理師会のメンバーが再現にこぎつけた「殿様の正月料理」。
 長い準備期間を要して再現した料理ですが、実際に展示されたのは、「食祭とやま2002、in高岡」の開催期間のうちの2日間だけ・・・。
山崎さんは、このような苦労話など世に明かしたくないと思っているかも知れません。しかし、「殿様の正月料理」の企画の裏方に、山崎さんのような縁の下の力持ちがいたことを、一体何人の人が知っているのでしょうか。今からでも、より多くの人に知ってもらいたい。そのような気持ちからあえてここに紹介させていただきました。
山崎さんの筆による巻物 心のこもった書体です。
今後、料理の道を目指す若者の育成に貢献したいと山崎さんは語られた。


Copyright 2004 YAMAGEN-JOUZOU co.,ltd. All rights reserved.