大航海時代、イタリアのメディチ家は薬種香辛料貿易で財をなして、金融業に進出し商人相手だけでなくポルトガルやスペインといった国家を相手に金貸しをしていたとさえいいます。この「パッレ」は、メデッチ家の祖業に由来するスパイス・丸薬そして貨幣を象徴しているといわれます。
何だか似ています、メディチ家紋章と前田家家紋。
加賀前田家は、商工業や交易を奨励し特に薬種産業を重要視していました。薬種業は富山が有名ですが、金沢や高岡でも薬種業はさかんでした。また、工芸家や芸能家の保護育成にも熱心でした。このような特色を持つ 前田家を現在の私たちは「日本のメディチ家」と称することもあります。
前田家は、イタリアのメデッチ家のようになることを目指してしたのでしょうか。前田家がスペイン・ポルトガルからの宣教師や商人らを通じて、ヨーロッパで絶大なる勢力を持つメデッチ家の情報を得ることは可能でしょう。もしや、家紋もメディチの「パッレ」をヒントにしていたのでは。高山右近は、丸が7つの七曜紋を使ったこともありました。これもメディチ家紋章の流れを汲むものか。つかぬ想像が頭をもたげて参ります。
前田家の紋は、菅原道真ゆかりの「梅の花」なのか、はたまたメディチ家ゆかりの「丸薬」なのか、前田家御紋の謎としておきましょう。