・別院の鯖寿し
「城端(じょうはな)は機(はた)の聲(こえ)の町なり。寺々は本堂の扉を開き、聴聞の男女傘を連ね、市立ちて、さつまいもの苗を売る者多し。麻ののれん京めきたり。」
柳田国男の旅日記「木曾から五箇山へ」の中の一文です。後に「民俗学の父」といわれた柳田国男は、木曾の上松を明治40年(1897年)5月28日に旅立ち高山を経由して五箇山へ。そして城端から金沢、さらに和倉温泉へ。富山から魚津、泊へと旅路をたどりました。城端を通過したのは、6月5日。山中の旅路からやっと人里へと無事にたどりつき、安堵感もあったのではないでしょうか。城端は古くからの絹織物の町です。加賀藩の保護のもと、養蚕と機織がさかんでした。柳田の訪れたこの日も町のあちらこちらから機を織るリズミカルな音が聞かれました。静寂の山道の旅から開放された柳田の耳は、人々の生業の音を喜んだにちがいありません。また、城端は「城端別院」の名で真宗信徒に親しまれている善徳寺を中心とした門前町です。この日はお寺に「御講」が催されていたのでしょうか、お寺の扉は開放され、町には市が立ち賑わっていた様子です。城端は山と野の中継地点に位置し、交通の要所として山の産物・野の産物が集まる市場町でもありました。柳田は、市ではさつまいもの苗を売る人が多くみられたと細かな観察をも書き残しています。そして、町の家々の軒先に揺れる麻ののれんをみて「京めきたり」と町の印象を記しており、短文ながら越中の小京都・城端の町をうまく描写した表現だと感心させられます。
城端別院善徳寺
蔵の小道
 柳田国男が旅日記に城端の町を書きとめてから96年を経た今日、町角からカタンコトンという機織の音は消えました。しかし、静かな山里でありながら何とはなく「京めきたり」という城端の町の印象は今も変わらぬように思います。
雅な伝統文化が香る曳山祭り。端唄の流れをくむという曳山庵歌(いおりうた)の艶やかな声。平家の落人が伝えたという麦やの旋律。絹の反物を並べる店。迷路のような細い路地。蔵の並ぶ裏通り。そして、城端別院善徳寺を始めこの町には寺院が多いせいでしょうか、城端は落着きと気品のある町です。
 さて、先ほどからたびたび名前のでてくる城端別院善徳寺には「鯖の発酵すし」が伝承されています。毎年夏に営まれる虫干法会の際に参詣者に振舞われる「鯖ずし」です。
 海から遠く離れた山すその町のしかも仏教の祭りに「鯖」が登場するところが意外です。今でも毎年7000食分の鯖が10本の仕込み桶に用意されます。かつてその数はもっと多量であり、ある年には1500尾の鯖が使用されたこともあったそうです。鉄道や自動車のない時代、鯖の輸送には水路を使用していたのでしょうか。痛みやすい鯖を鮮度の落ちないうちに伏木湊から小矢部川を溯り、さらに山田川をのぼって城端までの輸送は大変な労力と人手がかかったことでしょう。
 城端町西新田の神明社には、嘉永元年(1848)に建立された鳥居があります。寄進者の名前には伏木湊で活躍した廻船商人たち、氷見屋徳三郎・能登屋太三郎・川口屋吉六・車屋茂七の名が刻まれています。或いは伏木の廻船商たちが何らかの形で法会の鯖輸送に関っていた時代があったのかもしれません。
 藩政時代から鯖の買付けや鯖すしの仕込みには、伝統的に地元城端の「魚太子講仲間」が関っていました。今でもその伝統を受継ぐ城端魚商組合7名の方たちが手法の継承しておられます。毎年、5月下旬から6月の初めにかけてこの7人衆により「鯖ずし」の漬込みが行われます。
鯖の塩漬け 3枚に下ろしたときに20センチほどになる大きさの鯖で油分の少ないものを選ぶ。表面をよく洗い、3枚に下ろし強く塩をする。約3日を要して鯖の水分をよく抜く。
米炊き・立塩 米は固めに炊きあげ、海水ほどの塩分濃度の塩水にさらしてばらばらにし、水気を切る。
仕込み 4斗の仕込桶に、まず米をばらばらと桶底に散らす。三枚に下ろした鯖をぎっしりと並べ、米、山椒の葉の順で何層にも重ね漬け込んでいく。空気が入り込まないようによく押しながら重ねる。米麹は使わない。桶がいっぱいになったらゲンゲとよばれる藁を三つ編みに編んだもので周囲をふさぎ、落し蓋をして重石をのせておく。
発酵・貯蔵 温度変化の少ない漬物蔵で貯蔵する。微生物の働きで米が分解されて柔らかくなり糖に変化して甘くなる。続いて乳酸菌が働いて酸っぱくなる。ごはんが酸っぱくなってくると鯖は身がしまり白っぽい色に変わる。鯖の味にも酸味が加わる。
虫干法会 毎年、7月22日から28日の間に行われる仏教行事虫干法会では、説話のあとに「お斎(とき)」とよばれる食事の振る舞いがある。白飯・煮物・漬物とともに約2ヶ月間漬込んだ「鯖ずし」が供される。

 善徳寺の「鯖ずし」は「ばってら」と呼ばれるもののように、酢飯の上に酢にしめた鯖がのっかっているものではありません。善徳寺の「鯖ずし」は酢を使わない「ナレズシ」です。鯖をどろどろに発酵した米が覆っています。米は食べる目的で使用されるのではなく、発酵させるためのものです。酢を使用せず、発酵促進剤である麹も使用せずに「米・塩」だけで漬けられる善徳寺の「鯖ずし」は「すしの原点」ともいうべき、とても古い時代からの原初的なタイプのスシです。このようなスシを「ナレズシ」(発酵すし)のなかでも「ホンナレ」と分類するのだそうです。(井波町の井波別院瑞泉寺で同じ日に行われる太子絵伝でも同様に「鯖ずし」の振る舞いがありますが、瑞泉寺の「鯖ずし」のほうは「鯖・米・塩・山椒の葉」に「米麹・酒・とうがらし」が加わります。こちらは「ナマナレ」に分類されます。) 
越中の小京都・城端町の真宗寺院に伝わる「鯖ずし」。越中の発酵食品には古い形のものが多く残されています。そして、先に紹介した「発酵茶」バタバタ茶やこの「ナレズシ」は、南方からのいわゆる照葉樹林文化の系譜を思わせる食品です。重層的で奥深い富山の発酵文化をまたひとつ知ることができました。

Copyright 2004 YAMAGEN-JOUZOU co.,ltd. All rights reserved.