・富山売薬と種麹
富山の特産物のひとつに「薬」があります。そして売薬さんたちの草の根作戦とも言うべき営業活動はよく知られるところです。富山の売薬りは道に車のわだちすらない僻地へも足を運び家庭薬を置いて行ったと言います。富山の薬売りたちは全国に販路を拡大し、各家庭と強い絆を築いていきました。そして、「薬」にとどまらず様々なサービスをお客様に届けていました。たとえば「富山の薬売りさんに仲人をしてもらって娘を嫁にだした。」なんていうこともあったそうです。縁組み情報を提供していたわけです。富山売薬たちの果たした情報や文化の伝達者としての役割が改めて評価されようとしています。
 富山の売薬たちは薬のほか、商品作物や食用植物の種、稲の種もみの販売もしていました。そして、その栽培法を伝授し、各地での栽培例を紹介するというふうに情報の提供もしていたのです。これは、封鎖的で情報に乏しい僻地の農村にはとてもうれしいサービスだったでしょう。特に、富山の稲の種もみが優秀であることは、富山売薬たちによって全国ネットで口伝えに宣伝されました。現在でも富山は「種もみ王国」といわれ、優良な種もみを日本各地に出荷しています。富山の種もみの県外出荷量は全国一の座あります。ですから、全国各地で食べられているお米の親元をたどれば富山でしたということも多いのではないかと思います。これは200年以上も前からの売薬たちによる営業活動と情報伝達のおかげでもあるのです。
また、蚕の卵を植えつけた「種紙」も売薬さんは販売していました。富山売薬の商う種紙からかえった蚕は病気にかかりにくく、よい糸をはくと評判だったそうです。
そして、麹の元、発酵促進剤である「種麹(こうじ)」も富山売薬たちの商品アイテムのひとつでした。

薬種・種もみ・種紙・種麹、―― 「」には私たちの記憶から薄らいでしま
売薬業の祖・藩主前田正甫
った神秘的な深い意味があるようです。 そしてそれらが皆、売薬さんの柳行李に詰まっていたのです。かつて人々はさぞや畏怖の念をもってこの「生命の入れ物」を見ていたことでしょう。
 こうじ屋のいない人里はなれた農村では、各家で売薬さんから種麹を買って自家製のこうじ作りから始め、どぶろくや甘酒・味噌・醤油を作りました。富山の薬売りが柳行李をしょって農村を回り、薬を売るついでに味噌・醤油の製造法を伝授したかどうか記録にないので分かりませんが、味噌・醤油の普及にも少なからず貢献したのではないかと思います。

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