弊社のホームグラウンドである富山県高岡市は6年後に開町400年をむかえるとても古い町です。前回は、タイムカプセルのような町高岡に伝わる屋号についてお話しました。屋号は先祖の職業や出身地を伝える大切なもの、自らのルーツを探る手がかりともなるものです。今回は長兵衛さんの屋号・室屋(むろや)についてお話します。室屋という聞きなれない屋号、一体何を商う家なのでしょう。
(エ)室屋って何?
 室(むろ)とは土壁や石で囲って外気を遮断した密閉性の高い建物のことです。氷を貯蔵する冷蔵施設は氷室(ひむろ)。土を掘り下げて作った食料保管のための穴は土室(つちむろ)。温室は室(むろ)で、花の温室栽培は室咲き(むろさき)といいます。茶・昆布・砂糖・薬種など保管する乾燥倉庫も室(むろ)。灯油などの危険物倉庫も室(むろ)。かいこを種紙の卵からかえらせる施設も室(むろ)・催青室(さいせいむろ)と呼んでいました。漆器の漆を乾燥させる施設のことを漆風呂(うるしふろ)または漆室(うるしむろ)といい、うどん・そうめんなど麺類の生地を寝かせる容器のことを室櫃(むろびつ)と呼んでいたそうです。
氷を貯蔵する氷室 富山では漁村で多くみられた。
蚕の種紙 28マスに別れ1こずつ卵が産み付けられている。
 「室屋」は職業に由来する屋号です。高岡では、古い屋号を「室屋」とする家が管見のかぎりでは20軒余りあります。ご先祖の家業をお尋ねしたところ、昆布屋・灯油屋・香油屋・薬種屋・綿布屋・太物屋・質屋などの答えがありました。そして室長屋兵衛の家の祖業は麹屋であったと伝えられています。一見、高岡の室屋を屋号とする方たちの祖業には何の一貫性もありません。前回、述べたように屋号と家業は必ずしも一致するものではありません。屋号は替えずに商売替えすることもあったでしょう。 しかし、高岡の室屋さんたちの祖業は「商品を室で保管する」という点ではおおよそ一致しているようです。すなわち、昆布商・油商・薬種商・麹屋などは「温度湿度の管理が必要な物を室で保管する家」と言えるのかと思います。
しかし、室屋にはもっと原初的な意味があるのではないでしょうか。地名の室屋町からそれを探ってみましょう。

(オ)室屋町・諸町・室町
 四国の今治市には「室屋町」があります。今治は慶長八年に藤堂高虎が町割りを行ったことに始まる城下町です。四町四方を町域とし各町は職業別に配置されたといいます。室屋町の由来について、今治市ガイドブック「旧市内の歴史めぐり」は次のように言っています。「室屋町は今治八町の西南端で農村部に隣接していた。境界には竹薮があり洪水防止の堤防の働きをしていた。開町に先立ち田畑を没収された農民に糀(麹)の製造・販売権を与えて移住させた。 麹製造の室が多くたっていたことから室屋町と呼ぶようになった。
 高岡市の隣の富山市にも、藩政時代は「室屋町」がありました。富山に城下町が開かれた時からの古い町です。角川地名辞典によると「富山城下本町分35町の一つ。万治年間富山旧市街地図によると富山城の東に位置し、富山城修築の際に行われた城下の町割りにすでに室屋町の名が見える。」とあります。町の名の由来については「麹を作る室屋がたくさん住んでいたので室屋町という」(「富山町づくし」高瀬保篇)と言い伝わっているそうです。富山市の室屋町は、現在町名が変わって中央通りと堤町の一部となっています。
 これらの事例から、城下町が作られた近世初頭のころ、「室屋」が麹を作る職業であるという認識は広く世間にあったことが分かります。
 九州の大分県中津市諸町に「むろや醤油」さんがあります。御当主は菊池さんとおっしゃいます。古くからの屋号を室屋、印は山印の下に叶、ヤマカノです。会社パンフレットには「むろや醤油の創業は享保元年(1716年)豊前中津の地、諸(もろ)町にて初代菊池安之烝が開業し約280年の歴史を経て今日に至っております。(略)製造法は、良質の大豆と小麦で麹を造り、塩水の替わりとして生醤油にその麹を仕込み、さらに約一年間じっくりとねかせた天然諸味を加え古くから伝わった独特な方法で今日も醸造いたしております。」とあります。むろや醤油さんの居住地「諸(もろ)町」の地名は、九州で麹をつくる容器のことを「もろぶた」といっていることと関連しているようで興味をそそられます。
九州地方で麹を作る容器として使われるもろぶた。味噌、醤油、焼酎の麹を作る四角の容器です。
 実際、今でも醸造所では、麹を作る場所を「ムロ」とも「モロ」ともいっている例が見られます。ムロとモロとは本来同義語です。ともに古い意味をたどると「神聖な生命の宿る場所。神の降臨する場所。みだりに入ってはならない場所」という意味だとか。なるほど麹の生成は神秘的です。微生物学や酵素化学にうとい私などにとっては、神のなせる業としか思えませんね。
米麹
富山のこしひかり
  室町幕府の名の由来となった京都室町。この室町の地名も「酒造りの麹室がたくさん建っていたので室町のよばれるようになった」という説があるということを付加えておきましょう。
 長兵衛さんの家業も麹屋でした。室屋の室は麹室の室、麹を作ることを生業としていたのです。
 「室屋」は元来、「室で麹作る家」の呼称であったものが、時代を経て新興の産業が次々と登場し発展する中で、本来の意味よりも広義の意味を持つようになり、「商品を室で保管する家」の意味になったのではないかと私は考えています。
昔ながらの粒状種麹
麹を作る図。むしろの上に蒸米を広げ、種麹を手できりもみしながら散布。これに覆いをして一晩おいておくと麹菌が繁殖し米は白くなり発熱し始める。これを「床寝せ」と言っています。

(カ)石室の話
 さて、お話を長兵衛の家に移しましょう。
 当社には石室(いしむろ)と呼ばれる場所があります。今は自動製麹装置で麹造りをしているので、実際には石室はもうないのですが、昔、麹造りをしていた石室のあった場所を、今でもそう呼んでいるのです。撤去されたのは50年以上前のことであるにもかかわらず、その名を今に残していることからも、かつてのこの施設の重要性は察することがでます。そこは、いわば室屋の心臓部にあたるところです。どのような施設であったのか、かすかに記憶の残る山本澄子(昭和3年生まれ:社長母)・要藤求(昭和26年入社)に聞いてみたのによれば、「平たい石を積み上げ、塗りこめた壁で囲われている部屋で、仕込み蔵の奥に小さい入り口があった。なかには麹おりが棚に並んでいた。または床からレンガ積みに積み上げられていた。麹作りは、米を蒸した後、むしろに広げて熱をさまして種麹を打つ。米をむしろにひとまとめにして覆いをして室に入れ一晩床寝せをする。一晩おいて米に発酵熱が出て白くなり麹ができてくると麹おりに1`あまりを小分けに移し取る。室に積んで並べる。麹おりは、楕円形の曲げ物の手法でつくったものと、四角い箱組みの手法で作ったものの2種類があった。四角の物は後から作ったもので楕円の曲げ物が古い。曲げ物のおりのほうは角に麹がたまりにくく、麹を混ぜやすかった。曲げ板の接続の部分は丈夫なサクラの木皮で止められていた。楕円形のおりの裏には作られた年月日がかかれているものもあり、古いものでは「文化」の年号が書かれているものもあった。麹を作るときは、常時大きな火鉢に炭をたいて室温を保った。昼夜を問わず麹の手入れをする室仕事は大変で、男の人は皆住み込みで仕事をしていた。夜間に室仕事に行くときは、ランプを持って下駄の音をカランカランと響かせながら、真っ暗な長い廊下を奥へ向かい、木桶の並んでいる仕込み蔵を通って行った。室温の調整は木の板でできた小窓の開閉により行なった。室の中で眠ってしまう者もおり油断禁物。火事や一酸化炭素中毒の事故にならぬよう、炭火の管理に重々用心した。また、麹づくりは肝心かなめ。注意に注意を重ねて麹をよーく見みるのは熟練を要する仕事。」とのことでした。
 談話を伺った後、しばらく懐かしい思い出話に花が咲きました。お話ありがとうございました。ほかほかと暖かな室で眠ってしまうのは、思わず笑ってしまうお話ですね。
左 円盤型自動製麹装置 手前の針棒は自動センサー 
右 麹の手入れ 手の感触や嗅覚による判断は大切で熟練が必要です。
 麹づくりには、2〜3晩を要します。その間昼夜を問わず 「手入れ」と呼ばれる作業を行います。「手入れ」とは、麹を手で丁寧に混ぜ、麹に溜まった余分な水分・熱を外に逃がし、固まりになった麹を砕いて麹に新しい空気を与えてやる仕事です。また、今でも「麹の顔、見に行ってくっちゃ(見に行ってくるよ)」と言って手入れの仕事に取り掛かることからも分かるように、手入れには麹の品質点検という大きな意味があります。手を麹の中に入れる、麹をぎゅっと握ってみる、指先で麹をつまんでみる、などして湿度・温度・触感をチェックします。麹を作る人の手が一番優秀なセンサーです。同時に香り・色などの性状を確認して麹菌の「はぜ込み」が順調かを見ます。(麹菌が米に浸透し成長することを「はぜ込み」といっています。)昔は、麹の管理は人の勘だけが頼りで、種麹(たねこうじ)の性能も現在ほど優れていなかったでしょうから、麹づくりは手間暇のかかる随分大変な仕事であったと思われます。
 弊社では、自動機を使っている今日でも、機械のセンサーだけに頼らず、麹の手入れ(今でもそう呼びます)の際には必ず、作り手自らの手の感覚でしっかりと麹の品質を確認し製麹装置の温度湿度の微調整を行っています。先の談話のとおり麹づくりは、味噌・醤油を問わず全製造工程の中で最も肝心かなめとなるとても重要な作業です。よい麹を作ることが、おいしい味噌醤油を作ることの基礎になります。

(キ)曲げの麹おり
 さて、ここで、先の談話に出てきたこうじを作る容器のことに触れておきたいと思います。現在、弊社では自動製麹装置で麹づくりをしていますが、昭和40年ごろまでは「麹おり」とよばれる容器で麹を作っていました。麹おりのサイズは、長さ54.5センチ、幅23センチ、高さ4.5センチ、深さ3.5センチです。杉材の柾目を使用していて、細い曲げ板2枚と角を曲線にした長方形の底板からなります。細い曲げ板はサクラの木の皮で結って接合されています。サクラの木の皮は曲げわっぱや和楽器の笛などにも使用されていますが、丈夫であるだけでなく、湿度温度の変化に応じて伸縮し締めを安定させる優れものです。高温多湿になる室仕事の道具には大変適した素材なのです。曲げ板と底板との接合はニカワでされているのでしょうか、木釘などは打たれていません。
 麹おりの表面はコーティングしたかのようにツヤツヤしています。長い年月、繰り返し使われ、麹からでた成分でツヤツヤと輝いているのです。実際、麹に触っていると手もしっとりツヤツヤとしてきます。また、製麹の仕事をしていると麹に触れていない顔などの皮膚もしっとりツヤツヤとしてくるから不思議です。弊社の社員に、色白でツヤツヤした肌の持ち主が多いのは麹に秘められたパワーのせいでしょうか。麹に触れる仕事をしている人に美肌エステは必要なしですね。しかし、鼻毛が伸びやすいという難点もあるとかないとか、これは余談です。
 この曲げの「麹おり」の独特の形は高岡・金沢・福光・八尾など旧加賀藩の古くから開けた町に固有のもののようです。麹を作る容器には、全国ところどころでさまざまな形・大きさ・呼称がありますが、ほとんどは長方形のお盆型や箱型のものであり、曲げの技術を用いた楕円形の容器は実にまれです。高岡市の隣の富山市では「くけい」とよばれる幅19センチ長さ46センチの細長型の容器で麹を作っていて曲げの麹おりを使用していません。同じ富山県でも富山市と高岡市では様々な点で文化の相違があることはよく指摘されますが、麹を作る容器にも差異があるのです。曲げの麹おりの分布については、詳しく調べてみたいと思います。たとえば、隣接する能登・福井・岐阜・新潟や佐渡ではどのような容器を使用しているのでしょう。知っておられる方がおられれば教えてください。
 麹おりは「曲げ」の技術を使い、角に麹がたまらぬよう工夫されています。これによって水分が均等にまわり、麹のはぜ落ち(麹菌が成長しないこと)を防ぐという効果があります。また、四角い麹おりのように角が破損することがなく耐久性にも優れていました。
 先の談話のとおり、この麹おりの形は少なくとも「文化」(文化年間1804年〜1817年)といった時代から綿々と約200年以上もの間引き継がれているのです。旧加賀藩は麹づくりがとても盛んであり、また麹づくりの技術が先進的だったということがこの麹おりを見ても伺えます。麹おりは味噌醤油発展史における貴重な歴史資料であり民俗資料であると思います。
 今でもこの麹おりは麹屋さんや味噌屋さんで使われ続けています。いまだ現役選手なのです。しかし残念なことに、現在この麹おりを製作している木工所は石川県にも富山県にもありません。技の継承が断たれてしまったのです。この麹おりを今も使っておられる麹屋・味噌屋では、自前で修繕を施しながら大切に使い続けておられます。

(ク)麹おりを作った職人
 さて、曲げの麹おりを考案したのは誰だったのでしょう。北前船や北陸街道・飛騨街道といったルートによって別の地域からもたらされたものなのでしょうか。たとえば、秋田の「曲げわっぱ」の技術が日本海交易によって北陸の麹おりに伝播したのかもなどと考えると、とてもロマンがあります。あるいは、飛騨の匠たちの技が鰤街道を逆ルートで運ばれてきた、という可能性も無きにしも非ず。
 また、麹おりの製作を担っていたのはだれだったのでしょう。麹おりの裏がわには、作られた年月日、そして作った職人さんの名が記されているものもあります。墨書きのたっぷりした書体で書かれています。しかし、それがどこの誰なのかはわかりません。金沢では「宮野さん」とおっしゃる方が近年まで麹おりの修繕をしておられたと金沢の麹屋さんから伺いましたが、すでに他界しておられるとのこと。
 高岡には今も曲げ物を作っておられる職人さんがおられます。曲げ物を作っておられる職人さんに聞けば何か分かるかもしれないと思い尋ねてみました。かつて高岡には曲げ物職人が多く居住していたことが「檜物屋町」の町名や「檜物屋」の屋号が残っていることから分かります。しかし、今では小馬出町の森田吉左衛門さん、ただお一人となってしまいました。森田さんは、今もせいろやふるいといった曲げ物の製作に励んでおられます。森田さんに麹おりを作ったことはないか聞いてみましたが、作ったことはないそうです。また、作っていた職人についても知らないとのことでした。
 製造技法の継承が絶たれ、作っていた記憶すら絶たれつつあるとは誠に残念なことです。
 麹おりは、北陸の発酵文化を影で支えてきた大切な民具です。味噌・醤油のみならず「かぶらすし」にも「酒饅頭」にも「なれずし」にも「甘酒」にも、この容器で作られた麹が使われてきたのです。このままでは10年後にはなくなってしまっているかもしれません。どなたか、製作し修繕してくれる方がおられないものでしょうか。
今もせいろやふるいを製造販売する高岡小馬出町・森田吉左衛門商店。明治38年に作られた土蔵づくりのお店です。左・ヒノキの曲げ物で蒸した赤飯は格別です。曲げ板の接着の手段は桜の皮の止めのみ。接着剤は無使用です。
ひとつ、付け加えておきます。先に、曲げの麹おりの技の継承が断たれてしまったと書きましたが必ずしもそうではありません。高岡の伝統工芸品に漆器がありますが、この高岡漆器の特長のひとつは優美な曲線のフォルムにあります。厚みのある板を曲げて作った高岡産の曲げ火鉢などには、とても高度な技術が感じられます。高岡漆器の木地職人さんたちは曲げの技術を得意としているのです。高岡漆器の美しい曲線のルーツはもしかすると「麹おり」にあるのかもしれませんね。
高岡漆器曲げ火鉢
高岡の曲げの工法は、高岡鋳物の技術と関わり合いながら独特の発展をしました。
製造は 天野漆器株式会社 
高岡市波岡245
電話0766-23-2151
 先にも述べたように麹を作る容器には、全国さまざまな形・大きさ・呼称があります。
各地方に伝わる麹を作る容器についての情報がありましたら是非教えていただきたいと思います。待っています。

追記 秋田のだしこうじ
秋田は、曲げわっぱの本場。麹を作る容器にも曲げの技術が応用されていました。名前は蓋麹と書いてだしこうじというそうです。造り酒屋さんが吟醸酒用の麹を造るのに使用してます。四角い枠・曲げの枠・すのこの3つのパーツから作られていて分解できます。四角の枠の内寸は、45×30×5cm。麹1.5キロを曲げの枠の中に盛ります。  
曲げの枠ははぜ落ちを防ぐ工夫です。はぜが回ったところで曲げの枠をはずし麹をうすく広げます。写真のように麹に筋をたて、空気に触れる表面積を増やします。こうすることで麹の品温の急上昇を防ぎ、水分の蒸発のバランスを保ちます。
この容器は秋田方言で「だしっこ」といいます。だしこうじについてはかづの銘酒株式会社 田村清司さんに教えていただきました。なお、写真は小玉酒造株式会社さんからの拝借です。ありがとうございました。

かづの銘酒株式会社 018-5201秋田県鹿角市花輪字中花輪29
   電話0186-23-2053 ファックス0816-23-2571 銘柄 千歳盛
小玉酒造株式会社 018-1504秋田県南秋田郡飯田川飯塚字飯塚34-1
   電話018-877-2100 ファックス018-877-2104 銘柄 太平山

追記 もろぶた寿し
九州長崎県には「もろぶた寿し」という郷土料理のおすしがあります。「もろぶた」とは九州地方で使われるこうじづくりの容器のことです。「もろぶた」は長方形をしています。その名から推察して、こうじを作る「もろぶた」でおすしを作ったのが、この「もろぶたすし」の起源のようです。かつては、こうじを作る容器でおすしを作る習慣があったのでしょうか。
 富山の名物「ますの寿し」は独特の丸い曲げの容器にはいっています。私たちの使っている曲げの麹おりとの関連が予想され興味深いです。
ますのすし
もろぶたすし
 今回は、室屋の屋号の意味についてお話しました。室屋は「室で麹を作る家」という意味でした。長兵衛さんは商売道具、曲げの「麹おり」を使って毎日麹づくりに励んでいたことでしょう。時には長兵衛さんも麹室の小さな入り口の前で麹の花が咲く夢をみながらうとうとと居眠りをしたかもしれませんね。

(ク)長兵衛さんの肖像画を募集します!
< ヒント >
高岡弁しか話せないが、歌はうまい。
雪国育ちであることと、麹の美白作用で色白。
ごはんと味噌汁が大好き。
北陸の名水でしこんだ地酒は命の源と思っている。
桶・樽の扱いがとても上手。特に縄かけが得意技。
下着はもちろん越中ふんどし。
丈夫で肌触りのよい高岡綿布でできた着物を着用。
印ばんてんに前垂も欠かせないアイテム。
いろりばたで、自分のわらじは自分であむ。
でかける時はいつも地元名産の菅笠(すげがさ)を持参。
北陸の天候は変わりやすい。
雪道を歩き慣れた結果、がに股。

メール・ファックス・手紙でご応募お願いします。
優秀作品はホームページで発表の上、作者の方に弊社商品
「長兵衛みそ 2キロ木桶詰」を記念品として贈ります。
〒933-0842 富山県高岡市横田町2-6-8 山元醸造株式会社
ファックス 0766-24-9787 Eメール : yamagen@p2332.nsk.ne.jp

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