(カ)甘いとは知らなかったおらっちゃの醤油
高岡御車山 加賀藩の梅鉢紋
 「なぜ、旧加賀藩のお醤油は甘味料の入った甘口の醤油なのか。」私は前回、北陸の醤油が甘い理由について、高山右近ら加賀キリシタンがもたらした南蛮文化の影響があるのではないかとお話しました。九州や山口県そして加賀にはともにキリシタンとの関わり深い歴史があります。
南蛮文化との接触は北陸の人々が甘い醤油を作り使い始めるための、あくまでも前提条件とでも言うべきでものであり、直接の原因とは言えないのかもしれません。しかし、歴史の上から消えてしまった加賀キリシタンの存在は甘口醤油の誕生の事情を考えるのに知っておかねばならないことだと思います。この私のお話に対する地元の反響は予想外に大きく、地元紙北日本新聞の記事にも「甘口しょうゆ南蛮文化の影響」の見出しで取り上げられました。(平成15年7月9日北日本新聞に掲載、7月19日には同紙「天地人」の題材に)
ところで、地元富山では醤油が甘いということに気付いていない人もいます。何ごとも自己チュー傾向にある富山の人の中には、醤油とはこんな味のものだ、おらっちゃの醤油こそがスタンダードだと思って疑わない人も多いのです。そして他の地域のお醤油を口にしたときには「かっ、なんちゅー辛いがいね。これ、ほんまに醤油けぇ。(これはなんと辛いこと。これは本当に醤油なのですか。)」と言ってしまうのです。富山から外に出たことのない私の母などはその典型的な例です。

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