(チ) 再び富山の薬売り
 前回は富山の薬売りの昆布輸送のお話をしました。富山売薬薩摩組は、蝦夷地や青森で買付けた昆布を遠路薩摩まで運び、その見返りとして琉球経路で輸入される唐薬種を入手するという好条件を得ていたのです。長崎から輸入される唐薬種は幕府の強い統制の下にあり、その種類や量も限られていました。また長崎から大阪道修町の薬種問屋を経て富山にもたらされる薬種は大変高価であったといいますから、琉球薩摩経由で豊富に輸入される薬種を安価で入手する方法は、富山売薬にとって地場の薬産業を支えるための重要な手段だったのです。
売薬さんは大人には売薬版画、
こどもには紙風船のおまけをお土産とした
片桐棲龍堂付属漢方資料館所蔵

 薩摩組の入手した唐薬種は漢方医学の知識とともに富山に持ち帰られ、富山が「薬の富山」として発展する基盤作りに役立ったのでした。 富山売薬と薩摩藩との関係は、複雑なものでした。昆布がほしい薩摩藩と唐薬種がほしい富山売薬との微妙なかけ引きがあったのです。
 富山売薬薩摩組は、薩摩藩から何度も差止めを言い渡されています。
「もう薬を売りに薩摩に来るな」
と言われ窮地に立たされましたが、その度、富山売薬はめげることなく
「そう申されず、薩摩の地で商売させてくだされ。(唐薬種を入手させてくだされ)」
と、金品や昆布を献上してご機嫌を取り薩摩藩との関係を維持しようとしたのです。薩摩藩がほしくてたまらない昆布の輸送は、富山売薬が薩摩入国の許可を得るための最良の手段でした。薩摩藩とのかけ引きにおいて、富山売薬の何よりもの切り札は、昆布輸送。薩摩藩も富山売薬の輸送する昆布を頼りにしていたのです。しかし、唐薬種を掌中に納める薩摩藩の態度は一貫して威圧的。
「唐薬がほしかったら昆布を持って来い」
富山売薬は薩摩藩の仰せのまま、ひたすら昆布を運び続けました。
 薩摩藩は、富山売薬にこうも言っていたそうですよ。「せっかくだから、富山の薬売りの営業力で、薩摩の薬も売って来い」と、富山売薬たちは薩摩産の薬を買わされていたのです。
かくして、富山の薬売りたちは紙風船や歌舞伎版画のおまけを携え、また南京玉すだれの余興をし、先用後利の商法で顧客のハートをキャッチして、薩摩の薬売りもすることになったのです。「富山の薬売り、薩摩の薬売りをする」なんてシャレのようなお話。それにしても、薩摩藩は巧妙です。薩摩藩は薩摩産の薬のほかにも薩摩の特産品、たばこ・茶などの数々を富山売薬に売っていたのです。
薩摩商法は、厳しいでごわすねぇ。

Copyright 2004 YAMAGEN-JOUZOU co.,ltd. All rights reserved.