追記1 薬種商の館 金岡邸

金岡家は金剛寺屋の屋号で江戸末期より薬種商・金融業を営んだ豪商です。
金岡邸 国登録有形文化財
930-0992富山市新庄町1-5-24 電話・ファックス076-433-1684
開館時間9時から16時 毎週火曜日・年末年始休館
     0製薬の道具薬研
この資料館では金岡家の住居であった、母屋(明治初期の建造)と総ヒノキ造りの新屋(大正時代建造)を利用し富山売薬に関する資料が保存展示されています。大きな薬たんすや漢方薬の原材料など見所豊富。













追記2 日本四大菓子

長崎の卵鶏そうめん、松江の山川、金沢の長生殿、長岡の越の雪。これを古くから「日本四大菓子」と呼ぶそうです。皆そろって、日本海側の菓子です。また、青森県にはくじら餅という郷土菓子がありますが、これは江戸時代に長崎で作られていた表面が黒くて裏が白い鯨に似た餅菓子が、日本海交易によって津軽に伝わりくじら餅と呼ばれるようになったのだそうです。くじら餅も北前船の運んだ砂糖文化の足跡なのですね。そして私の大好きな酒饅頭も北前船によって日本海側の各地に広まったものだとか。
―――昆布の道は砂糖の道です。

追記3 新湊放生津八幡宮の絵馬

しんしんと降る雪の中、静かにたたずむ放生津八幡宮の大きな鳥居。北前の船乗りたちは冬になると大坂で船を降り、陸路で帰郷、正月を家族とともに迎えた。故郷に戻った船乗りたちは真っ先に八幡様に詣でて無事に帰郷したことを報告したという。雪に守られて船乗りたちは安堵のときを過ごした。

大きなひょうたんをサーフィンのように乗りこなし、高波の海上に垂直立ちしている古老。左手には白い桃を持って耳の高さにかざし、右手には昆布を持って前に押し出すようにして構える姿は、歌舞伎役者が名場面で見せる見栄のようでもあります。とてもシュールで独創的なこの絵馬は、江戸時代後期に新湊放生津の船主たちが、航海安全と息災長寿を祈願して放生津八幡宮に奉納したもの。一説には、この古老は秦の時代に始皇帝の命を受け、不死の薬を求め日本に渡った「徐福(じょふく)」だといいます。ひょうたんに入ったお酒、桃と昆布、腰につけた霊芝は、「不老長寿」の漢方薬に由来する題材だそうです。この昆布絵馬は今のところ、他に類例が見られずここ放生津八幡宮、オンリーワンのもの。珍重品です。描いた絵師は不明ですが、この個性的な絵馬を描いた絵師の創造性に敬服です。富山の昆布文化ゆかりの絵馬として興味深いものですね。
さて、この絵馬に見られる白い桃が砂糖の象徴のように見えるのは私だけでしょうか。
 徐福伝説の日本版とも言うべきものが、古事記・日本書紀が伝える田道間守(たじまもり)伝説です。田道間守は今から1300年ほど前の垂仁帝の世、「海のむこうの常世の国にはトキジクのカグの実という不老不死の良薬があるという。それを探してくるように」との帝の命を受け10年を要してその実を探し持ち帰りましたが、時すでに遅く帝は亡くなっていました。すっかり気落ちした田道間守は間も無く死んでしまいましたが、不老不死の実をもたらした田道間守はくだものと甘い和菓子の神様として今もくだもの生産者・菓子製造業者の篤い信仰を集めています。甘い菓子のルーツは不老不死の実=くだものとされているのです。この昆布絵馬の古老には菓祖田道間守の姿も少なからず反映されていると私は考えます。
 古老の両手に持たれた昆布と桃は、昆布文化と砂糖文化が表裏一体であることを教えてくれているのでないでしょうか。一見、とても奇妙な絵馬ですが、よく見ているといろんな解釈が生まれてきておもしろいですね。

大伴さん寒い中お話を聞かせていただき有難うございました。
神主の大伴さんは大伴家持の遠い子孫だそうです。神社の背後は万葉集にもよみこまれている奈古の浦。富山湾を望む景勝地です。雪が溶けたら、また訪れたいスポットです。

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