(ソ)砂糖の輸入

(高岡御車山小馬出町古幕)パッチワーク・レース・アップリケの技法で十字架をデザイン。高岡開町の時代の、異国との交流を物語る文化遺産。

江戸時代初期、砂糖は百パーセントが輸入品でした。日本に砂糖が本格的に輸入され始めたのは時代をさかのぼる朱印船貿易の時代です。この時代の東南アジアは大交易時代、海上交易によって東南アジアの海洋都市間の交易は盛んに行われ、人と物の行き来で東南アジアの海域は賑わいました。西洋からの船がキリスト教とともに東南アジアに到達したのもこうした時代のことです。日本からは朱印状を携えた貿易船が交易に出向き東南アジアの各地には数々の「日本人町」ができたことは周知のことでしょう。砂糖の交易も東南アジアという広いフィールドの中で行われていました。日本に輸入される砂糖の多くは中国南部からベトナム・タイの沿岸地方や台湾で産出されたものだったそうです。南蛮船は東南アジアの海域で砂糖を買付け日本にもたらしていました。

 現在「砂糖」は台所の必需品。スーパーの特売では「味噌」「醤油」「サラダ油」とならんで目玉商品となっています。砂糖が高級品だとは誰も思わなくなってしまいました。しかし、江戸時代の日本では砂糖は大変に高価なものでした。
 日本が異常な高値で砂糖を買っていることは、西洋では有名なことだったそうです。あるポルトガル商人の記録によれば、白砂糖は日本で売ると仕入れ値の3倍、黒砂糖などは仕入れ値の10倍以上で売れたというのです。外国商人たちにとって日本向けの砂糖は多大な利益を生む重要な交易品でした。日本が鎖国をすると、東南アジアで仕入れられた砂糖は外国船によって長崎出島に入り、幕府の直轄である長崎会所によって売買され、その後大坂商人たちの手に渡り、さらに全国各地に運ばれていきました。鎖国下の長崎出島での貿易は、江戸時代前期では輸入品は生糸・絹織物・布地・薬種 砂糖、輸出品は金銀銅や陶磁器が中心でしたが、中後期では 薬種・砂糖の輸入と、昆布・干しあわびなどのいわゆる俵物輸出が交易の中心となりました。その中でも砂糖と昆布との交易は中核をなすものでした。
砂糖と昆布との交易は、「砂糖」を添加することを特徴とし、昆布とも関連の深い甘口醤油のルーツを考えるのに重要なポイントとなりそうです。
長崎港には毎年数回、唐船・オランダ船が入港した。異国船が入港するたび、港は厳重に警備された。
この絵はオランダ船が、石火矢(いしびや・大砲のこと)を打ち鳴らしつつ入港してくるところ。
永見徳太郎編集『長崎版画集』(九州大学付属図書館所蔵・九州大学デジタルアーカイブより転写)
シーボルト『日本』から。オランダ船や中国船,そして和船が出入りする荷物の集積地である長崎港を描いている。 出島には砂糖専用の蔵もあった。(九州大学付属図書館所蔵・九州大学デジタルアーカイブより転写)

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