(サ)富山の薬売り、昆布を運ぶ

  鎖国の世、薩摩藩は昆布を琉球経由で中国へ売渡していたわけですが、遠い蝦夷地からの昆布の輸送には「越中売薬薩摩組」といわれる富山の売薬組織が関っていたと言われています。薩摩藩と越中売薬とが結んだ、琉球王国・中国との密貿易です。大きな借財をかかえ財政がひっ迫していた薩摩藩では正貨が藩外に持ち出されるのを避けるため、他藩からの商人の出入りを固く禁止していました。
しかし薩摩藩は、越中売薬薩摩組の出入りだけを特別に許していたのです。昆布輸送のためでした。昆布は琉球で清から輸入された唐薬種・南蛮秘薬と換えられました。富山売薬の目当てはこの唐薬種・南蛮秘薬でした。昆布がほしい薩摩藩と、舶来の薬種がほしいと富山売薬の利益とが合致したのです。
富山売薬薩摩組は、海上遭難の危険をおかしながらそれこそ命懸けで北方の昆布の産地から 日本の南端薩摩まで昆布を運び続けました。この密貿易によって薩摩藩は莫大な収益を上げ、藩の財政の立て直しを図りさらには明治維新を推進する財源ともし得たのです。『昆布の道』で大石氏は「昆布が明治維新の原動力になった」と述べています。

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