今も、弊社の蔵には人の背丈より大きな木桶が並んでいます。蔵はいつでも、ひんやりした空気となんとも言えないよい香りに包まれています。私はここでひとり静かに、深呼吸をするのが好きです。「癒し効果」があるのでしょうか、木桶たちから元気をもらえるような気がします。
  この大きな木桶たちは、未だ現役です。いつからここにあるのか、はっきり知る人には尋ね当たりません。100年前とも150年前とも、人によって予想はさまざまです。味噌・醤油の製造元の木桶は、木目に塩分を含み木の組織がしまるので耐久度が増し長持ちするのです。
 蔵の入り口はこの木桶よりずっと小さいので、木桶は桶職人が杉板・竹などの材料を蔵の中に持ち込み、ここで組み立てたものなのでしょう。また、味噌・醤油屋の桶は新品の材料を使って作ったというよりは、酒造屋などで使っていた桶を貰い受け、分解しここで組立てなおしたと考えるのが妥当かと思います。桶には酒造屋で十年ほど使用されてから、味噌・醤油屋に渡り百年ほども使用され、そして四斗ほどの中型の桶や樽に作り直して使われ、さらに小型の桶・樽に作り直し、最後には燃料として焚かれるという「桶の一生」があったそうです。リホームを何度も繰り返し桶板を大事に大事に使いまわすのです。
  高岡には今も「桶屋町」の地名が残っていますし、現存の古文書・古地図には「桶屋」「樽屋」の屋号が多数見られます。往年の桶職人たちの活躍ぶりが伺えますね。
 桶職人は桶のリホームとそしてアフター・ケアの職人でした。
 昔は桶職人が一年に一度、醸造蔵を訪れ幾日か泊り込みで、緩んだタガを締めなおしたり、古いカダから新しいタガへ交換したりと木桶の修繕を念入りにしてくれたそうです。昭和の初頭ころまでは、タガ用の長い割り竹をくるくると輪に巻いて肩にかけ、独特の格好をして蔵に出入りする桶職人の姿が見られたそうですが、今日、そうした職人さんはいなくなりました。醸造の容器は戦後急速に、ホーロータンクや化成樹脂タンクに変わり、木桶などというものは本当に珍しいものとなってしまいました。
 木桶はこのまま廃れ、消滅していくのでしょうか。
 木桶は生きている容器です。発酵する酒や味噌や醤油とともに呼吸しているのです。発酵を守り助ける木桶ほど、醸造に適した容器はないでしょう。
 私は今年「木桶仕込み保存会」に加入しました。木桶仕込み保存会は長野小布施で去年発足したばかりの会です。このように木桶の良さを再認識しようという新たな動向もあるのです。木桶文化を次世代に伝えようとすれば、木桶の製作・修繕ができる職人さんの育成が最も課題となるところでしょう。職人さんの育成はとても難しい課題だと思います。「木桶仕込み保存会」をただの尚古趣味や販売のための口上に終らせたくはありません。私にはどんな協力ができるのだろうと考えているところです。

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