ヤマゲン・ソース
 ヤマゲン・ソースは、昭和30(1955)年に誕生し、齢(よわい)50を超える長寿商品です。
 当社が50年前にソースを販売するようになった背景には、家業存亡の危機感がありました。その当時、日本人の醤油文化に目をつけたアメリカが醤油製造に成功し、安価なアメリカ産醤油が大量に日本上陸するとのうわさが醤油業界にあったのです。そうなれば、日本の醤油は壊滅的な打撃をうけるであろう、田舎の一介の醤油屋などはひとたまりもないと。
 そんなある日、先代社長山本英夫は、お得意先で一合半ほどのガラスの小瓶に詰められた茶色の液体が2ダース箱にいれられて大量に積まれているのを目にして驚愕しました。その小瓶の側面には英字の表示が。
「これが、うわさに聞くアメリカ醤油か。我が家業ももはやこれまで」
と、先代社長は全身の血の気がひく思いでその場に立ち尽くしました。
 しかし、すでにお気づきのかたもおられるかと思いますが、これはアメリカ産醤油などではなく、コカ・コーラの北陸上陸だったのです。これは、当社に今も伝わる笑い話。
 先代社長は、
「欧米の攻勢にびくびくしていても仕方がない、日本人の食生活が急速に欧米化していくなか、醤油味噌のみに頼った旧来のあり方に発展はない」
 と、洋食に応じた調味料、ソースの生産を強く考えるようになっていました。
 当社でソース製造が始まったのには、その頃、入社した要藤求さんの存在が大きかったようです。要藤さんは、若いころ大阪の「星鶴」という醤油屋で働いていました。星鶴醤油ではソース製造が行なわれており、要藤さんは見よう見まねでその技術を習得したのです。一身上の都合があって高岡に帰郷した要藤さんは、しばらくして先代社長に誘われ、昭和26年から住み込みで働くようになりました。ソース製造に着手したいと考えていた先代社長は、ソース製造の経験を持つ要藤さんとともにヤマゲン・ソースの試作を始めました。しかし、長年、醤油味噌ばかりを作ってきたところへソースの製造は難しく、最初は何度も失敗を繰り返しました。大阪から技術者を招いて指導を受けたりもし、四苦八苦の末、なんとか完成にいたったのです。
 「ご飯にも良く合うソース」という、今では信じられないようなキャッチフレーズのもと販売を開始したヤマゲン・ソースは、戦後の「洋食」ブームに乗り、着々と販売量を伸ばしました。当時は、コロッケやとんかつがジャブジャブと浸かるくらい、たくさんソースをかける習慣があり、また、お皿に残ったソースはごはんにたっぷりとかけて食べていたそうです。当時の皆さんは、ソース生産者にとってはまことにうれしくなるような食べっぷりをして下さっていたわけです。
 ごはんにソースをかける食べ方はどうも大阪で考案されたもののようですね。『全日本《食の方言》地図』(野瀬泰申著 日本経済新聞社)には、日本人がごはんにソースをかけて食べるようになった起源が紹介されています。それによれば、昭和2年(1927)の昭和恐慌のころ、大阪梅田の阪急百貨店の大食堂で、全国ではじめて卓上にソースを置くサービスが行なわれるようになると、ご飯だけを注文し、いわば「つゆだく」状態でソースをかけて食べる人で大食堂は賑わったそうです。阪急百貨店の損得抜きの善意に満ちた、卓上ソースのサービスが発端となったソースかけごはんは、「ソーライス」というハイカラな名前で普及し、誰にはばかることのない?食べ方となりました。
 「ご飯に良く合うソース」というヤマゲン・ソースのねらいもそのような食べ方を考慮したものでした。そして、洋食のみならず、トマトにも、せん切りキャベツにも、天婦羅にも、卵焼きにも、目玉焼きにも、焼きそばにも、肉マンにも、ともすれば焼き魚にまでもと、やたらソースをかける人が増えていったのです。そのような背景ともあいまって、ヤマゲン・ソースの地元での販売は出だし好調でした。
 また、花見や祭礼・七夕祭り等の露天商で販売される、洋食焼き・どんどん焼き・たこ焼き・お好み焼きのかけソースとしての需要もあり、お祭りの前日には、ソースを買い求める露天商のおばちゃんたちで店頭は賑わいました。さらに、学校給食や一般食堂、企業内食堂などの業務用としての販路も開けました。
 しかし、その後、大手ソースメーカーの販売に押されて販路が徐々に減少し、結果、近年では極めて少量の販売に留まるようになっています。昔の栄華今いずこ、ヤマゲン・ソースはすっかり時流から取り残されてしまいました。醤油屋のソースづくりは珍しいことではなく、実は、全国の多くの醤油屋さんが、副業としてソースを作っておられます。これは、後にも詳しくお話するように、日本のソースづくりの起源が、醤油と深く関わっていたからにほかなりません。日本のソースの誕生は醤油蔵にあったといってよいと思います。しかし残念ながら、醤油屋のソースづくりは、一様に小規模で業績は皆停滞ぎみ、わがヤマゲン・ソースはその典型例のひとつなのです。これまで、当社ではソース製造に新たな活路は見出しにくいと判断してきました。
 地元が『コロッケまちおこし』に動き始めたことで、私どもは50年ぶりにソースのリニューアルに乗り出しましたが、同業の方たちが聞いたら「ヤマゲンが、ソースのリニューアル?それ本気」と目を丸くして驚かれるのではないでしょうか。新発売の越中高岡コロッケソースは地元あっての商品です。

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