慶応4年 |
、薩摩藩に兵糧パン(黒ゴマ入ビスケット)5,000人分を納入 |
明治2年 |
、パンの販売開始 |
明治5年 |
両国若松町に“白扇に月”の暖簾を分けてもらい、米津風月堂を開業 |
明治7年 |
リキュールボンボンを製造、“甘露糖”と名付け発売 |
明治8年 |
ビスケットを製造販売開始 |
明治9年 |
アイスクリーム製造機械購入 |
明治10年 |
第一回内国勧業博覧会にビスケットを出品、“乾蒸餅”の名称を附与され“鳳紋賞”を受賞 |
銀座6丁目に分店開設、本拠地を京橋南鍋町店に定める |
フランス料理を開業、カレーライス、オムレツ、ビフテキ等を8銭均一で売る |
明治13年 |
イギリスよりビスケット製造機械購入 |
明治17年 |
シュークリーム、キャンディーを新製し、発売 |
明治25年 |
マロングラッセ、マシュマロ(真珠磨)発売 |
明治30年 |
宮内庁御用達となる |
この頃の銀座にはもう一軒、評判高いパン屋がありました。「木村屋」です。木村屋は明治2年に新橋にて創業、その後銀座尾張町に移転しますが例の銀座大火で被災します。店主の木村安兵衛とその息子英三郎は、この困難に打ち勝ってパン屋を銀座に再建、明治7年(1874年)にはイーストを使わず米麹によって発酵させる、画期的なパン作りに成功しました。木村屋のほんのり酒の香りがするパン生地は、日本人の好みにぴったり合いました。当時の日本人はイーストの香りが苦手だったのです。それにくわえ、パンの中にはおいしいあんこが。ここに「木村屋のあんぱん」は誕生したのです。その年暮れに店で売り出したところ、あんぱんは爆発的な人気。あんぱんの評判はやがて明治天皇のお耳にも入り、翌年の4月には、山岡鉄舟を通して天皇にも献上されました。このとき、あんぱんの中央にくぼみをつくり、桜の花の塩漬けをのせました。これも風味絶佳と評判となり、木村屋のへそパンとして知られるようになったのです。後には、あんこのかわりにジャムやクリームやカレーをいれるようになり、この木村屋スタイルは日本のパンのスタンダードとなりました。