高岡市の誕生
 明治22年(1889)、市町村制の施行とともに高岡市は誕生しました。『高岡市史』には、新市39市のうち、32までが旧城下町で、残り7市のうち堺、横浜、神戸、長崎、赤間関(下関)は開港地か内外交易の要衝であり、そのいずれにも属さないのは、わが高岡市唯一つである、高岡は「異彩を放つ」地方都市だと記されています。高岡の人は「異彩を放つ」というフレーズがとても好きだったようで、当時の新聞記事の見出しなどにもたびたび「異彩を放つ高岡」の語が登場しています。近年の高岡コロッケ事業も全国に「異彩を放つ」ものとなればよいですね。
 この高岡市誕生にはちょっとした秘話がありました。当時、政府の原案では、市制基準が3万人以上とされていたので、富山県では富山市(5万7千人)だけが市となり、高岡市(2万9千人)は除かれることになっていました。しかし、高岡の人たちは富山と同等扱いされないことがたいへんに不服でした。富山には負けたくなかったのです。そこで代表者数名が上京して内務省に掛け合い、強引に市制基準を2万5千人に訂正させたというのです。こうして高岡は「異彩を放つ」新市となりました。梶川さんが、で修行をするため上京したのは、高岡市誕生の翌年、明治23年のこと。高岡コロッケいよいよ誕生しようとする時代が、高岡市の誕生とほぼ重なることに、深いえにしを感じるのは私だけでしょうか。

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