大正期すでに、コロッケは街角の人気商品でした。
「ワイフ貰って嬉しかったが、
いつでも出てくるおかずはコロッケ、
今日もコロッケ、明日もコロッケ、
これじゃ 年がら年中コロッケ、
アッハッハッハハァッ、ハッハ こりゃおかし」 |
これは、大正6年(1917)東京の帝劇で上演された喜劇『ドッチャンダンネ』の挿入歌で、作者は当時帝劇に勤めていた増田太郎氏でした。ハイカラ・ブームの中、この歌が大流行したのです。
コロッケは、本来、由緒正しいフランス料理でした。先にも触れましたが、フランス料理の「クロケット」から派生し、それがなまってコロッケとなったのです。「クロケット」は細かく刻んだ魚介や肉類をホワイトソースで練り合わせ、パン粉をつけてカリカリに揚げ焼きにする料理、文明開化の発信地であった鹿鳴館の社交パーティーでのメニューにも「クロケット」は加えられ、紳士淑女がフォークとナイフを使って優雅に口に運んでいたのです。今の私たちのように、コロッケを手に持ったまま、アングリほおばるなんてことはなかったわけです。はじめは庶民のものではありませんでした。しかし、誰のアイディアなのか、じゃがいもと融合した頃から、コロッケは瞬く間に庶民へと普及し、大正中期には歌に歌われるほどのポピュラーなお惣菜となったのです。
|