海上交易とコロッケ
 北陸へのコロッケの伝播に、明治から大正・昭和初期まで続いた北海道との頻繁なる海上交易が、関与したことは疑いないでしょう。北陸から北海道へは移民が多く、ある統計によれば、明治15年(1882 )から昭和10年(1935)までの北海道移住者は71万7424戸、うち富山県からの移住は5万3850戸、富山県・新潟県・石川県・福井県をあわせた移住は21万5958戸で、なんと全体の約30パーセントを占めています。北海道との交易を支えていたのは彼ら移住者たちでした。本州からは、米や衣料品や塩・味噌・醤油などの生活必需品が北海道へ、北海道からは昆布やニシンなどの海産物とともに開拓地で収穫された農産物が本州へと運ばれました。農産物のなかでも特にじゃがいもは人気があり、肉じゃが・ライスカレー・コロッケに、なくてはならない食材となりました。今でも、富山・石川・福井・新潟でコロッケ消費が多いのは、開拓時代の北海道との「じゃがいも交易」に起因していると私は考えています。
富山におけるコロッケ消費量の優位の原因については諸説唱えられていており、共働きの比率が高い富山にあって主婦の家事手抜きの所産のように述べられてもいます。
奥さん:  「わたし、目一杯働いて忙しいんだから、晩のおかずは出来合いのコロッケで済ませッちゃ。安くておいしいし、コロッケは結構やちゃ、ねぇ、あんた」
旦那さん: 「おぅおっ、そっでいいちゃ」
てな、感じ?
大正中期の伏木港
(NAT高岡100年プロジェクトより)
 しかし、富山におけるコロッケ消費量の優位の原因については、先に述べたような北海道とのさかんな海上交易に支えられた食文化という観点から説明されるべきじゃないでしょうか。家事手抜きなら、なにもコロッケでなくったって、ほかのお惣菜でも出来るのですから。

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