日本のコロッケ
 日本の洋食の定番メニュー、コロッケの発祥地はどこなのでしょう。長崎や函館・横浜・神戸・新潟といった幕末からの開港地では西洋料理店が早くから開設されており、コロッケの発祥地であった可能性が唱えられています。しかし、西洋料理の発祥地=コロッケの発祥地という公式は必ずしも成り立ちません。そこに、おいしい「じゃがいも」という十分条件がプラスされなければ・・・。
 日本のコロッケのルーツといわれるフランス料理のクロケットはホワイトクリームが使用されていますが、日本のコロッケの主流はじゃがいもコロッケです。じゃがいもが、いつ誰によって日本のコロッケに用いられるようになったのかは定かではありませんが、じゃがいもと西洋料理との出会いを尋ねることで、日本のコロッケの発祥地は推測できるのではないでしょうか。
 まず、長崎発祥説。
 じゃがいもは、慶長3年(1598)に、オランダ人によってジャワの港ジャガタラ(ジャカルタ)から長崎に伝えられたのが始めだそうです。まず、「ジャガタラいも」の名がつき、「じゃがいも」に転じました。しかし、その頃の長崎に、じゃがいも栽培はあまり普及しませんでした。明治時代になると、長崎港に来航した外国船が、食糧として多くのじゃがいもを購入するようになりました。また、佐世保に軍港が開かれると、じゃがいもは帝国海軍の軍隊食としても用いられました。それで、長崎県ではじゃがいもが多く栽培されるようになったのです。そんなわけで、明治時代の長崎県は日本一のじゃがいも生産県でした。今でも、長崎県のじゃがいも生産量は北海道に次いで全国2位です。
 長崎で最初に西洋料理店を開業した日本人は草野丈吉でした。幕末のころ、彼は出島のオランダ屋敷やオランダ軍艦の厨房で働きオランダ料理を学びました。五代友厚らにすすめられ、文久3年(1863)に、長崎郊外の自宅を改装して西洋料理店「良林亭」を開業、外国人相手に商売を始めました。最初は6人以上のお客はお断りという小さなお店でしたが、のちに自遊亭、自由亭と改名して店を大きくしました。丈吉は腕がよかったので、外国からの貴賓の饗応料理にも重用されました。アメリカ大統領グランド将軍やロシア帝国皇太子のお料理なども担当したそうです。そして、丈吉の弟子たちは全国の開港地に散らばって西洋料理の普及に尽くしましたから、丈吉はまさに「日本の西洋料理の父」ともいうべき人物です。丈吉の自由亭は、現在、「西洋料理発祥の地」として、長崎のグラバー園内に移築復元されています。
 この丈吉や弟子たちが、オランダ料理の「じゃがいもと牛肉の揚げ焼き料理」に学び、また、日本の天婦羅や普茶料理の「もどき」の手法をも取り入れじゃがいもコロッケを考案したのではないかというのが長崎説です。この丈吉さん、なかなかのやり手で、明治元年(1868)には大阪に進出。同9年には、京都祇園にて藤屋という京都初の西洋料理店を開くという活躍ぶり、日本の西洋料理界にこの人ありと言われた人物でした。しかし、じゃがいもコロッケを武器に関西進出を果たしたのか否かは、定かではありません。
 次に、函館発祥説。これは最有力候補と目されています。
慶長3年の長崎伝来から約100年後の文化年間に、じゃがいもは蝦夷(北海道)に伝えられましたが、北海道のじゃがいもの生産が飛躍的に向上したのは、明治維新以降に北海道開拓が大々的に行なわれた時代でした。外国からの優良品種の導入がさかんに行なわれたことによります。中でも、函館ドックの専務取締役で大農場主だった川田龍吉男爵が明治40年(1907)にアイルランド産の苗を導入し、函館から道内一円に普及させたじゃがいもは有名です。その品種は、川田男爵の名にちなんで「男爵いも」の名で定着し、北海道を代表する農産物となりました。男爵いもをふくめ今日のじゃがいもの生産量では、北海道が国内ダントツのトップです。
 加熱するとホクホクした食感をもつ「男爵いも」は、数あるじゃがいもの品種の中でもコロッケに最も適した品種として定評のあるところです。
平成15年度 都道府県別じゃがいも生産量 単位:トン
 函館に初めて西洋料理屋が開かれたのは、『函館市史』によれば、安政6年(1859)のこと。外国人向けの店として、箱館開港とともに、大町の料理屋重三郎が開業しました。『函館市史』は重三郎の店を「本道最初の西洋料理店」としています。函館の西洋料理屋ほうが長崎より発祥は早かったのです。そして、明治40年に函館からおこった男爵いものさかんな栽培。日本のコロッケ発祥地が函館にあるとの説には説得力があります。
 しかしながら、このような情報も・・・。函館には、有名な老舗レストラン「五島軒」がありますが、この「五島軒」は、明治12年(1879)に若山惣太郎によって創業されました。そのとき若山は五島英吉という腕のよいコックを招請しています。若山は、彼の腕をたたえて「五島軒」という看板を掲げたのです。実は、英吉の出身地は長崎県五島、長崎で西洋料理の修業をしたコックでした。「五島軒」のルーツは長崎にあったというわけですね。いやはや、コロッケのふるさとが函館なのか長崎なのか、ますます分からなくなってきましたね。
 また一説に、日本のコロッケは、大日本帝国海軍の食事として採用され、兵隊さんたちの間で人気のメニューになったことが始まりともいわれています。道南地方で栽培された男爵いもを使用し、むつ市大湊を母港としていた帝国海軍が作ったコロッケが、「元祖、日本のコロッケ」だというのです。
 長崎市?函館市?むつ市? 一体、どこが、コロッケのふるさとなんでしょうね。しかし、こうしたコロッケ発祥の候補地よりも、今日、ずっとずっと多くのコロッケが食べられているのが、わが町高岡なんです。

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