日本のソース
 ウースターソースの発祥地は、イギリスのウスターシャ地方だとされています。この地方に住むある節約家の主婦が、余った野菜くずや果実の残りを捨てずに壺にため、香辛料・塩・酢を加えて保管しておいたところ、それがおいしいソースになったという話が伝わっています。また、同地方ウースター市の商魂たくましい商人がこれを商品化しました。今も同市で操業を続けるリー・ペリン(LEA&PERRIN)社です。この会社の創始者リーとペリンズのもとの商売は薬種屋。彼らはあるときインドで「不思議な液体調味料」を口にしました。それは、忘れがたい味。かれらはなんとかその味を再現しようと、ウースターシャ地方に伝承されていたソース作りの手法を手がかりに試行錯誤を繰り返して19世紀の中頃ついに商品化に成功し、世界中に販路を広げたのです。
 一説に、彼らがインドで口にした「不思議な液体調味料」こそが、当時長崎からオランダ船で輸出されていたソーイ・ソース、すなわち醤油だったとか。この説を信じるならば、ウースターソースのルーツは、日本の醤油にあるということになりますね。日本人が外来のウースターソースの味を初めて知ったのは、幕末期のこととされています。開港地の長崎・横浜・神戸・函館などには西洋料理店ができ、そこでウースターソースが使われ始めました。
『西洋料理指南』(敬学堂主人著 明治5年)には、ソースについて、

「醤油ナリ。此品ハ我国ニ有セス我醤油ヨリ上品トス。舶来品ヲ用ユベシ」

とあるのは興味深いです。当時、日本では、ソースは「西洋の醤油」と考えられていたのです。
 まず、国産ソースの旗手となったのは、現在のヤマサ醤油株式会社でした。ヤマサがソース製造の特許を取得したのは明治18年。その製造方法は次のようでした。

「名称:新味醤油洋食和食共ニ調和シテ用ユ可キ極テ好味ナル新規有益ノ新味醤油ヲ発明セリ之ヲ左ニ明解ス。此ノ新味醤油ハ日本醤油、西洋酢、蕃椒、胡椒、丁子、蒜、胡すい子ノ七品目ヨリ成ル乃チ其成分ノ割合ヲ掲クルコト左ノ如シ日本醤油1斗、西洋酢5斗、蕃椒1500匁、胡椒500匁、丁子400匁、蒜250匁、胡すい子150匁 此ノ醤油ヲ製スルニハ日本醤油ニ西洋酢、蕃椒、胡椒、蒜、胡すい子ヲ混和シテ大約2月間放置シ而シテ布袋デ以テ濾過スルモノトス。此ノ醤油ノ用法ハ西洋ノ『テーブルソース』ニ異ナラス牛肉或ハ魚肉等調理品ニ和スルトキハ鹹味ヲ増シ一種ノ芳香ヲ放チ食物ヲシテ一層美味ナラシムルノ効アリ此ノ発明ノ専売特許ヲ請求スル区域ハ上文記載ノ如ク日本醤油、西洋酢、蕃椒、胡椒、丁子、蒜、胡すい子ヲ以テ製造スル新味醤油是ナリ」

 このソースは「ミカド・ソース」の名で発売されました。ソース原材料に「日本醤油」が多く配合されていたことや、製造の担い手が醤油業者であったことは注目すべきでしょう。また、ヤマサの日本初のソースには「砂糖」「果物」「野菜」がまったく配合されていないことに今日の私たちは驚かされます。しかし、このミカドソースは味が受けず、一年後に製造中止となってしまいました。
 日本でソース製造が本格的に始まったのは、明治31年(1989)のこと。この年の全国醤油大会にはじめて国産ソースが出品されて注目を集めました。これを前後して、国産ソースの生産がさかんとなったといわれています。当時のソースは、新味醤油、洋醤、西洋醤油などと呼ばれ、その味は本場イギリスのウースターソースとは似て非なるものでした。
 しかし、その味は徐々に日本人の心を射止め、コロッケ・とんかつなどの西洋料理の普及に伴って人気は上昇しました。先に述べたように、ソースのルーツが日本の醤油にあるとするならば、まさにヨーロッパからの「醤油の里帰り」いうべきでしょうか。
 戦後、ソース製造は地方にも波及し、地方の醤油屋でも規模の大小を問わずこぞってソース製造に参入し、群雄割拠の時代に突入します。先に述べたとおり、当社でも、昭和30年ごろにソースの製造販売を開始しました。味噌・醤油だけを作っていては、食の欧米化から取り残されるとの判断からでした。しかし、やがて時代の変遷とともに進行した烈しい競争の末、地方にも諸星のように存在した「地ソース」の多くは淘汰され、ソース業界は大手メーカー数社が牛耳る特異な業界を構成するに至ったのです。その有様は、スーパーのソース売り場を見れば一目瞭然でしょう。
 これでいいのでしょうか、国民みなが同じ味のソースに支配されるなどつまらない話。今一度、地元ならではの「地ソース」の復活を。私どもは、そんな願いを「越中高岡コロッケソース」に託しています。


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