ホテルニューオータニ高岡1FCOOのコロッケ定食
高岡コロッケ事業って何?

 昨今、わが町高岡では奇妙なまちおこし戦略が注目されています。「コロッケ」を高岡の新名物に育てあげ、まちづくりに役立てようというのです。

「世界文化遺産候補地に名のりをあげている国宝瑞龍寺・八丁道・前田墓所・高岡古城公園・伏木勝興寺の近世高岡の文化遺産群や、雨晴海岸からみる立山連峰、そして御車山祭り・・・、高岡には、発信すべき資源がほかにもあるというのに、なんでよりによって、『コロッケ』なんけ?」
「『コロッケ』でなくても、地元にはほかにあるでしょ、もっと素敵な食文化が。例えば、郷土料理の『かぶらずし』とか、寺院に伝わる『精進料理』とか・・それなのに、なんで『コロッケ』なんけ?」
「『コロッケ』が、開町400年を迎える高岡の町にふさわしいのだろうか」
「長引く沈滞ムードのなか、ついに血迷ったか、高岡よ」

 なんていう良識派市民の意見をよそに、一見破天荒ともいえるコロッケによるまちおこしはなかなかの快進撃を見せています。
 まずは、なぜ高岡市で『コロッケまちおこし』なのかをお話しましょう。読者の皆さんだって不思議に思っているでしょ、なんで高岡が『コロッケ』なんけって。
 富山県は、他県に比べコロッケの消費が優位にあります。コロッケの消費が多いのは、富山県に限ったことではなく、隣県の福井県・石川県・新潟県にも見られる傾向、この地方の人々はコロッケをよく食べます。わが高岡市でもコロッケの人気は根強く、県内で最もたくさんコロッケが食されているまちだとの情報があります。
ホテルニューオータニ高岡の
コロッケづくり風景
雑誌サライに紹介された
ホテルニューオータニ高岡の
こだわりコロッケ
 高岡でコロッケによるまちおこしが唱えられるようになったのは、今から二年ほど前のことでした。高岡市都市経営課の主管のもと各課から集まった若手職員を中心に、地元でさかんに食べられているコロッケを新たな名物にすえようとPR活動が始まったのです。最初はきわめて地味な活動でしたが、そこへ鬼に金棒のような心強い味方が現れました。ホテルニューオータニ高岡です。同ホテルの料理長によって地元産の「しろえび」「ずわいがに」を使用した二種類のグルメ・コロッケが考案され発表されると、コロッケへの注目度はにわかに高まりました。また平成18年には、高岡商工会議所が、創立110周年記念事業に高岡コロッケのPR活動をすえることを決めました。これに富山新聞社・地元企業数社が賛同、『高岡コロッケ実行委員会』(事務局・富山新聞社)が組織され、高岡における『コロッケまちおこし』はいよいよ本格化するに至ったのです。


以降、
・ 新作コロッケの考案
・ 市内の各種イベント会場での、コロッケ屋台設置
・ 高岡コロッケ協賛店の募集
・ 協賛店への「のぼり旗」の配布
・ 協賛店の位置を記す「高岡コロッケ・マップ」の製作
などの進展があり、その様子が地元放送局のテレビやラジオ番組、地元紙やタウン誌などで紹介されると、高岡コロッケ事業に関心を持つ人が増えていきました。
 さらに、平成19年1月13.14日に行なわれた『日本海高岡なべ祭り』では、今や高岡の冬の風物詩なっている「なべ屋台」に加えて、「コロッケ屋台(高ノ宮通り4店舗・中心商店街9店舗)」が軒を連ね、高岡ならではの味の競演が繰り広げられました。寒い中、どのコロッケ屋台にも長蛇の列。「なべ屋台」や高ノ宮名物の宮田のたいやきも押されそうな人気でした。繰り出した人たちは熱々のなべにコロッケにと味比べ。白い息をはきながらいい笑顔で舌鼓を打っていました。
 注目すべきは、藤子・F・不二雄さん(高岡出身)の漫画『キテレツ大百科』に登場するコロッケ好きのからくりロボット「ころ助」が、高岡コロッケのイメージキャラクターとしてはじめて起用されたこと。高ノ宮通りの「コロッケ横丁」では、「ころ助と行こう!コロッケスタンプラリー」が開かれ、ころ助のかわいい姿が屋台に彩りをそえて人気を呼びました。訪れた人の中には、高ノ宮通りでころ助のスタンプラリーを集めた後、高岡関野神社でドラえもんおみくじを買う、藤子・F・不二雄ファンも。 
 平成19年1月14日付の富山新聞によれば、一日約1万2千個のコロッケが売れたそうです。特に注目を集めたのは、ジャスコ高岡南店の「チョコレートコロッケ」やホテルニューオータニ高岡の「サーロインコロッケ・富山湾の宝石コロッケ(白海老)」。「チョコレートコロッケ」は、意外な組合せが受け、用意した500個を早々と完売。このコロッケは2月14日のバレンタインデーに全国発売する予定だそうです。
 以上のように、高岡コロッケ事業は着実に成長してきています。
日本海高岡なべ祭りのもよう
 当社でも、こうした動向に歩調を合わせ、コロッケの味を一層引き立てる名脇役としてのソースの考案を平成18年5月ごろから検討してきました。そして、試作を重ねた末、同年10月24日に、「越中高岡コロッケソース」とろまろ・レトロの2種類を販売するに至ったのです。(現在は、黒ごまみそソースが加わり、3種類になりました。) 

今回の話題は、創成期のコロッケとソースについて。
 海外に長く逗留している日本人が、望郷の念とともに、
 「ああ、食べたーい」
 と思う食べ物とは意外なことに、コロッケ・とんかつ・エビフライ・カレーライス・オムライスといった家庭的な洋食だそうです。ソースについても同様で、海外の日本人に中には、一種の禁断症状とでもいうのでしょうか、醤油・味噌とともにソースを渇望する人が多いのです。日本人が洋食やソースを恋しがるなど、なんて矛盾に満ちた話しでしょう。しかし、洋食とソースの名コンビは、すっかり私たちの食生活の中に土着し、今や「おふくろの味」となっています。さらに申せば、日本人が「洋食」と呼んでいるものを「これは、おいらの母国料理だ」といってくれる欧米人がはたしているのでしょうか。もしいたとしたら、その人はとんでもない味覚音痴でしょう。「洋食」はこてこての日本食にほかなりません。ソースもしかり、それは欧米諸国には見当たらない日本独特の調味料です。
 ここでは、国外から伝えられたコロッケやソースが、どのような経緯で日本人に受け入れられ土着を果たしたのか、また、高岡という一地方にどのようにして根付いたのかを考えてみたいと思います。
越中高岡コロッケソース 今回の懸賞クイズの賞品は、
「越中高岡コロッケソース・とろまろ、レトロ、黒ごまみそソース(160ml)」のセットを10名様に。
どしどしご応募ください。


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