法華宗寺院群
大法寺所蔵
長谷川等伯(信春)筆 
日蓮上人説法画
 ポンポン山を中心とした高岡城下町の北のゾーンには、開町当時、武家屋敷が置かれ、いくつもの法華宗寺院が集められて寺院街を作っていたようです。
 法華宗中興の祖、日隆が、自らの出生の地、越中射水郡浅井島村に開いた御堂をルーツとする本光寺。 (ちなみに、日隆は、京都の本能寺・尼崎の本興寺の開祖でもあります。) 射水郡放生津で、京都本国寺の僧日能が設立したとされる大法寺。佐渡から帰還した日像上人が京都に戻る途中越前府中に結んだ庵、立像庵をルーツに持つ立像寺。そして、前田利長の娘満姫の坐像画と御位牌を現在も大切に安置する本陽寺。そのほかに、4ケ寺の法華宗寺院が、「高岡開町当初は土器(かわらけ)町・古定塚にあった」ことが知られています。(土器町は大坪町と改名) しかし、繰り返すようですが、武家屋敷地区から武士が去り空洞化したときに、これらの法華経寺院は、開町当初の寺領を離れ、町屋地区へと移転します。
歩=坪
大法寺
1600歩
本陽寺
3000歩
妙国寺
1300歩
本光寺
1500歩
長蓮寺
850歩
立像寺
2700歩
妙伝寺
800歩
法光寺
1000歩
参考・土器町・古定塚にあった日蓮宗八ケ寺の寺領
(「高岡市史」より) 
寺院が町屋地区に移転となった後も、寺領はそのまま安堵された。満姫ゆかりの本陽寺は、最も規模の大きな寺であった。
 開町当初、なぜ、このように法華宗寺院が、武家屋敷のある城下町の〔北〕に集められたのかといえば、ひとつに加賀藩の武家の中に法華信者が多かったことがあります。また、三代藩主前田利常の母寿福院が熱心な法華信者であったこともあり、前田家にとって法華宗は曹洞宗と並んで特別な宗教でした。さらに、一向一揆に抗する宗教として法華宗が考えられていたことはこの時代の常道でもあり、町の北辺の防衛の砦としての役割を法華寺院に委ねたとも考えられています。
 ここで、もう一度、「御土居に囲まれた秀吉の聚楽第城下町」の図を見ていただきたいのですが、北の玄武である船岡山と聚楽第の間に、「寺の内」の地名があります。この「寺の内」は、天正年間に豊臣秀吉が京都の都市改造の一環として、東側の「寺町」とともに造った寺院街です。この「寺の内」は、法華宗寺院が多く集められたことが大きな特長でした。
 妙顕寺・妙蓮寺・妙覚寺・本法寺・本隆寺などの本山格の法華宗寺院が瓦を連ね、寺院街を形成していました。
 ポンポン山の〔南〕高岡城の〔北〕に日蓮宗寺院が集められたのは、ひとつに秀吉の聚楽第城下町の「寺の内」の例に倣ったからではないでしょうか。高岡では、北の寺院街を町が完成するまでの仮の居留地と考えている人も多いのですが、そうではありません。北の寺院街は、利長が京都に倣って設置した、こだわりの都市計画であったのです。
 さらに、想像を逞しくすれば、この寺院街の形成も風水的な都市デザインのひとつなのでは?と、私は考えています。 
 当時の日蓮宗には、北斗七星信仰、北極星信仰、妙見菩薩信仰の要素が濃厚でした。北の空の星座がたいへんに神聖視されていたのです。北の神聖な山=玄武の麓に、日蓮宗の寺院街を設置したのは、寺院を北天の星々になぞらえた都市デザインだったのではないのでしょうか。また、日蓮宗の寺では、大黒天を祀っていますが、この大黒天は、玄武の色である「黒」に通じるものです。
 しかし、先にも申しましたが、それらの寺院は、武士が高岡を去ると町屋地区に移転しました。また、武士たちとともに、金沢に移転した日蓮宗寺院もあります。
 武家屋敷と法華宗寺院群の移転により、北に施されていた高岡の都市デザインは大きく崩れることになったのです。これらの「北」に位置された寺院は、前田利長に付き従って、守山城下町・富山城下町・高岡城下町と移転したと伝えており、藩主の深い帰依を受けていた寺院ばかり。
 高岡から金沢に移転となった寺院もまた、守山・富山・高岡と利長に従い移転したと『二上の歴史』181頁(二上郷土史編纂委員会)は、記しています。
 下の表を見ると、高岡から金沢へ引っ越した寺院は、日蓮宗と曹洞宗の寺院が多いですね。これらの寺院は、高岡城下町のどこにあったのかは不明ですが、管見の限り、高岡開町当初から町屋地区に設置されていたという日蓮宗寺院がまったく見当たらなかったことから、金沢に移転となった日蓮宗寺院についても、やはり土器町か古定塚の「北」の寺院街に属していた可能性が高いと思われます。

高岡城の北にあった法華宗寺院
「高岡市史」参考
もと土器(かわらけ)町にあった寺院
もと古定塚にあった寺院
大法寺日蓮宗 現 利屋町58 本陽寺日蓮宗 現 片原町3
妙国寺日蓮宗 現 片原町52 本光寺日蓮宗 現 片原町
長蓮寺日蓮宗 現 風呂屋町65 立像寺日蓮宗 現 大坪町1-1-26
妙伝寺日蓮宗 現 大町5-14 法光寺日蓮宗 現 大町2-1
万現寺浄土真宗 現 本町11-8 常念寺浄土真宗 現 大手町
光誓寺浄土真宗 現 大坪町1丁目  
法華宗八ケ寺の移転先 各寺院の移転の時期は定かではないが、本陽寺が、貞享年間(1684-87)に、現在地の片原町に移転したと、伝えていることはひとつの目安になるだろう。
 
高岡から金沢へと移った寺院と現住所
円光寺日蓮宗 現 金沢市東山2-14-8 鶴林寺曹洞宗
(臨済宗?)
現 金沢市兼六町5-18
全性寺日蓮宗 現 金沢市東山2-18-10 玉龍寺曹洞宗 現 金沢市野町3-24-32
法光寺日蓮宗 現 金沢市寺町? 宝憧寺曹洞宗 現 金沢市幸町8-13
本長寺日蓮宗 現 金沢市野町? 金剛寺曹洞宗 現 金沢市寺町5-6-45
願行寺
(今の八坂神社か)
現 金沢市野町? 西養寺天台宗 現 金沢市東山2-11-35

高岡から移った寺院の多くは、金沢城の鬼門にあたる卯辰山西麓の東山寺院群や裏鬼門の寺町野町の寺院群に移転している。


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