瑞龍寺の朱雀
 瑞龍寺は、寛文3年(1661)の前田利長の五十回忌にむけ、前田利常によって造営されました。お寺の中には、「朱雀」を思わせるデザインがところどころに取り入れられています。
 ひとつに、法堂仏間に設置されている鳳凰と桐とを題材とした欄間彫刻です。
瑞龍寺法堂内陣 中央は前田利長公のご位牌
 これは、桃山時代の作風をとどめた風格ある彫刻で、中央に飛翔する鳳凰を置き、その周りは鳳凰が常食するという桐でくまなく埋め尽くした豪華絢爛たる透かし彫りです。地方の寺院に類を見ない、優雅さと完成度の高さがあります。
 鳳凰が題材に選ばれたのは、高岡の名の由来となった詩経の「鳳凰鳴く、かの高岡に・・」に因むものとされていますが、鳳凰といえば「朱雀」を指すことは言うに及びません。瑞龍寺を「南=朱雀」に見立てていたから、利長公菩提寺の中心ともいうべき仏間を装飾する欄間の題材として鳳凰が選ばれたのです。
 この法堂内陣は、格子天井になっていて、格子のひとつひとつに、野に咲く草花が描かれています。百以上にも上る草花の中には、牡丹・藤といった鑑賞向きのものもありますが、かぶらに大根、茄子・瓜・蓮根・甘茶つる・ごま、など、食用植物が多く描かれているのがおもしろいところです。天井画のテーマは、当社のキャラクターじぁありませんが、「大地のめぐみ」といったところ。豊かな自然の恵みのすばらしさを、天井の草花を通して歌い上げています。天井画は、真っ赤な太陽の象徴である鳳凰が遊ぶ、豊かな大地を表現しているのです。これも風水術のひとつ。狩野安信が描いたとされています。
 また、瑞龍寺の山門は、宇治平等院鳳凰堂のように鳳凰が大きくはねを広げているようなシメントリー構造となっていて、これも「朱雀」を象徴するデザインと言えるでしょう。
山門は、正保二年(1645)建立。延享三年(1746)火災で一度消失、現在の
建物は文政三年(1820)二十四代山上善右衛門吉順によって再建された。
禅宗寺院山門の代表格として名高い。

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