利長と築城
江戸城天守台
石垣普請は、万治元年(1658)に加賀藩前田家が担当した。
その精巧さ巨大さに思わず息を呑む。
 利長の築城の経験を追ってみると、大きなものではまず文禄元年(1592)に父前田利家の命によって着手した金沢城の大修築がありました。そのほか加賀藩領内では、天正13年(1585)の頃に越中二上山の守山城修築、慶長2年(1597)と慶長10年(1605)に越中富山城修改築、慶長4年(1599)に金沢城内惣構堀普請、慶長8年(1603)に金沢城本丸の大普請などを手がけており、築城に関する経験と知識は豊富でした。
 また、豊臣家の天下普請である大坂城・方広寺大仏殿・宇治川治水工事・伏見城・の築城及び建設には臣下を率いて参加。そして関が原合戦以降の徳川家の天下普請である江戸城・駿府城・高田城など普請にも、加賀の大御所として指示を与えるなど、利長は、常に加賀藩の普請を牽引してきたのです。
 それらの普請を通じて、利長が抱える大勢の大工集団・石工集団たちは高度な築城技術を修得し、有能な「築城屋」に成長してゆきました。万治元年(1658)に、加賀藩の石工たちが築いたといわれる江戸城天守台のみごとな石組みはその最高傑作のひとつです。 
 この「築城屋」の種は、織田信長から前田利家が引き継いだものだとも言われています。しかし、その「築城屋」の種に水をやり、幹のしっかりした木に育てたのは、前田利長といっても過言ではないでしょう。  
 そして、最後に前田利長が総力を注いで築いた城が、高岡城であったことを深く心に刻んでおきたいと思います。今回も長いお話となってしまいました。お付き合いいただきありがとうございました。 

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