利長、富山城を修築する
富山城天守閣は昭和28年に作られた富山市のシンボル
 昔から高岡の人には、富山に対するちょっとしたライバル心がありまして、何でもかんでも負けたくない。で、城を持たない悔しさから、「富山の城は戦後にできたイカサマ模擬天守だ。鉄骨建ての偽城だ(ごめんなさい)」なんて言っておき、高岡城のこととなると、「かつては加越能一番の大きな城だった」「大坂城・江戸城にも匹敵する深謀の城だ」
「高山右近が縄張りをした天下一の名城だ」「御殿は、豊臣家の伏見屋敷を移転した」などと、姿も知らぬ高岡城のことをほめちぎっているのです。おまけに、田中さんのノーベル賞だって大変にうらやましく、
「近く高岡からも田中耕一に負けないノーベル賞学者を輩出してみせる。」
と豪語する人も・・・。
かくたる候補者があって言っているのだか、どんなんだか。
「候補者ちゃ、おらことのあんまのことじゃ。(候補者とは、うちの長男のことだ)」
なんて、言うんじゃないですか。勘弁してね。
 端からみるとかなり滑稽でしょうね、こんな高岡って。
 この富山市のシンボル富山城。実は、前田利長の時代に郭輪・堀・土塁・石垣など、城郭の大修築が行われたと言われているんです。等しく利長が手懸けた城、富山城を知ることで、幻の高岡城を解析するヒントを得られるかもしれない。
 そんなわけで、富山城のお話を始めます。
 関が原合戦の戦後処理も終った慶長8年(1603)徳川家康は征夷大将軍の座に着きました。その後270年間続く江戸幕府はここに始まったと言えます。そのわずか2年後の慶長10年(1605)4月、家康は将軍職を秀忠に譲り、将軍職が徳川家の世襲たることを世に堂々とピーアールしたのです。
 徳川家康が将軍職を秀忠に譲るに及び、それに連動するかの如く、同年6月28日に前田利長も家督を利常に譲っています。そして、隠居城を富山城に定めました。利長は慶長14年(1609)に富山城が城下からの大火で焼けるまでの約4年間、富山城に居城しました。
 富山での利長は、富山城修築や富山城下町の整備拡充、舟橋の設置、水路陸路の開発にも着手したと伝えられています。また、この年には、越中の総検地を行って越中支配の強化を図りました。
 ここで、簡単に富山城の歴史を見ておきましょう。
東西を加賀藩に囲まれている赤い部分が 富山藩 江戸時代の様子
富山市ホームページより転載
 富山城は、天文12年(1543)神保氏の家臣水越勝重によって築かれた城でした。越後上杉氏に対する攻防の拠点として、神保長職が居城したと言われています。そして、織田信長覇権の時代、天正9年(1581)からは佐々成政の居城となりました。成政は,富山城の後ろを流れていた神通川を城の守りとし,城の東側のイタチ川から水を引き,堀を整備するなど富山城を川と堀とに囲まれた「浮城」に改修しました。しかし、豊臣秀吉が天下を握ると、越中の情勢も急速に変わります。天正13(1585)秀吉に敵意をいだき反抗していた佐々成政が秀吉に降伏し、熊本に移封となって富山城を去ると、秀吉は富山城を破却したと言われています。
 そして、富山城は前田家の所有となり、慶長2年(1597)に前田利長が、二上山の守山城から富山城に移って城の修築を行っています。しかし、利長は一年ほどで富山城を去り、金沢城に入って藩主の座につきました。富山城の大規模な修築は、その8年後、利長が藩主の座を前田利常ゆずって隠居し、加賀の大御所となって富山城に入った慶長10年(1605)の時のことです。
 修築は、用材を能登羽咋郡に求め、大工は若狭・越前からも招集して行われたそうです。また、慶長10年の秋に、前田利長が神通川上流の飛騨の横山から赤坂の山で材木を手に入れ、それを神通川に流して富山城まで運ぶため、「猪谷近郷の土方分百姓中」に助勢を願ったことが利長の書状により分かっています。かなり、大掛かりな修築だったようですね。 
 しかし、先にも述べたように利長が造営したこの富山城は、慶長14年に焼失。その後富山城は、元和の一国一城令で高岡城と同様に廃城となるも、寛永16年( 1639)に、前田利常の次男前田利次を藩主として富山藩を分藩。富山城は、富山藩の城として利次によって寛文元年(1661)以降に再建されました。以後200年あまりの間、富山藩前田氏13代の居城となって歴史を刻んできた富山城ですが、廃藩置県の後は徐々に解体され堀は埋め立てられ、三の丸などは市街地となり、本丸や西の丸は県庁の用地となりました。そして富山大空襲で灰燼に帰してしまったのです。
 ところが、昭和29年(1954)に市民から富山城の復興を願う声があがり旧石垣の上に天守閣が復元されました。この天守は戦後作られた全国第1号の天守閣であり、戦後の焼け野原を見事に復興させた、富山市民のシンボルとも言うべきお城なのです。

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