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利家には、正室まつとの間に二男十女、側室との間に四男三女があったという。利長には、高岡に満姫という子がひとりあった。利常と五人の女子を養子とした。 |
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利家の長男が利長。次男が利政、三男が知好、四男が利常。利常は側室の子であり、四男でありながら大抜擢で三代目藩主となる。五男の利孝は、後に関東上野、七日市藩の藩主となる。 |
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幸は利家とまつの長女で、家臣前田長種と結婚。守山城の城代であった夫とともに利常の養育をする。 |
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しょうは、利家とまつとの次女で、家臣中川光重と結婚。増山城にいたので増山殿という。 |
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麻阿は利家とまつの三女で秀吉の側室。聚楽第の天守閣に住み加賀殿と呼ばれた。 |
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豪は利家とまつの四女で、秀吉の養女となる。豊臣家五大老のひとり宇喜多秀家に嫁ぐが、関が原合戦に秀家がやぶれ八丈島配流となった後は、加賀前田家に戻る。利長の頃から明治にいたるまで、加賀藩は八丈島に米や塩などを送る慣習であった。秀家と豪の子は利長の養女となる。 |
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千世は利家とまつの七女。豊臣秀吉のすすめで、細川忠興とガラシャの長男、忠隆に嫁ぐ。関が原合戦の頃に忠興は忠隆を勘当。千世は離縁して前田家に戻り、後に加賀藩家臣村井長次と再婚。母まつの最愛の娘であったという。 |
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利常の子どもは正室珠姫との間に三男五女をもうけた。長男光高は四代藩主、次男利次は富山初代藩主、三男利治は大聖寺初代藩主となる。長女鶴姫は徳川秀忠の養女、三女満姫は徳川家光の養女となる。また、藩主光高は、水戸徳川家から家光の養女となった糸姫と結婚。徳川家との姻戚関係を深めた。四女の富子は、皇室八条宮智忠親王の妃となる。 |