高岡古城公園高山右近像 樺|中製作所(高岡市)の鋳造
はじめに
 長く、雪深い冬が終わり、北陸に春が訪れます。待ちくたびれた春が巡ってきた時の、桜の花の色は美しいもの。雪国に住む私たちは、春の訪れを告げてくれる桜の花に、特別の思いをいだいています。
 高岡は桜の美しい町。高岡市の花木は桜です。開町360年にあたる昭和44年に、コシノヒガンザクラとよばれる全国でも珍しい種類の桜が市の花木に指定されました。
コシノヒガンザクラ
高岡在住 いのうえしんじ さん
の撮影 2005 4.7
 桜の名所は高岡市内に何箇所かありますが、中でも美しいのは、やはり高岡古城公園と桜馬場(現在の高岡駅前から古城公園までの直線路)の桜でしょう。高岡古城公園には、桜の木が23種2,700本あります。その内、ソメイヨシノ1,700本余りとともに春の古城を彩るのが、300本余りのコシノヒガンザクラです。
 『高岡開闢由来記』の「桜馬場の由来」は、次のように高岡の桜のルーツを記しています。
  「慶長15年(1610)、高岡城築城の時、太田村の宗右衛門なる者が砺波地方産の山桜を献上し植えたのが元である。馬術射的の稽古場として高岡城に隣接して馬場が設置され、馬場の両脇には宗右衛門由来の山桜が植えられた。そして、歴代の藩主の手厚い保護のもとで育成された。」
 馬場の桜は、春にはみごとな花を咲かせ、桜並木のトンネルとなって、高岡の人々に春の訪来を伝えていたのです。「桜」馬場の名は、馬場の両脇の桜が優雅に咲き誇り、高岡随一の桜の名所として知られていたことに由来するもの。
石黒信由作図 文政11年(1828)の高岡の様子(高樹文庫蔵)
中央「御旅屋」の上に「御馬場」と直線路が記されている。繁久寺・瑞龍寺・古御城(現古城公園)・熊野神社(現高岡関野神社)・八幡宮(現有磯正八幡宮)の名が見える。千保川が二股になっていて面白い。
 
 元来、高岡の桜の代表といえば、宗右衛門由来の山桜だったのです。
この山桜がコシノヒガンザクラと命名されたのは、昭和の始めのこと。京都大学の小泉源一教授によって「越の彼岸桜=コシノヒガンザクラ」と名づけられました。
 コシノヒガンザクラはキンキマメザクラとエドヒガンの自然雑種と考えられており、成長が早くて病害虫に強く、花が豪華で色はやや淡い紫色がかっていて、ソメイヨシノに比べて一週間程早く咲く特徴を持っています。現在でも富山県南砺市城端町蓑谷の臘山などには自生種の山桜がみられ、高岡古城公園のコシノヒガンザクラはその自生種の系譜をひくものと考えられているのです。
 昭和30年代、駅前市街地の整備にともなう道路拡幅により一度姿を消してしまった桜馬場の桜並木でしたが、その後昭和58年、高岡市出身の桜の権威・加茂善治(1892〜1976)らによって行われた接木の技術によってコシノヒガンサクラの復活に成功、見事に甦りました。直径3cm高さ3mぐらいのか細い幼木が、20年ほどの年月を経た今日では、直径20cm高さ5〜6mぐらいに成長し毎年立派な花を咲かせようになりました。
 この高岡築城の時に砺波山中より献上されたという古い由来を持つ山桜のこと、ちょっと頭の片隅に。
 それから、古城万華鏡は、今回の第三回目で終了の予定だったのですが、後もう2回延長させていただくことになりました。次の更新は、5月上旬と7月上旬です。宜しくお願いします。
高岡古城公園池之端より本丸を望む
 さてさて、毎度おなじみの懸賞クイズ。今回は、山元の赤飯おこわと長兵衛みそ、そして高岡鋳物製の前田利長ミニ兜のセットを20名様にプレゼントです。ミニ兜は、前田利長が着用した銀なまずの兜を模した、ご利益満点・立身出世間違いなしの有難い兜です。端午の節句の飾りものにもぴったりですよ。また、古城万華鏡で高岡の殿様前田利長公のことをご存知になった記念にこの兜をどうぞ。ご応募待っています。締め切りは4月26日です。
高岡銅器利長出世ミニ兜 高さは8センチです。
販売価格1,500円(税別価格)の品。

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