氏郷と利長 石曳きの話
 方広寺石垣の石曳きの伝承が今も残っています。ちょうど、蒲生氏郷の石曳き部隊と我らが殿様、前田利長の石曳き部隊にまつわるお話ですので紹介しましょう。
蒲生氏郷方は、ビクともしない巨石を搬送するのに、まず巨石の上に美しい遊女を立たせました。遊女は扇を持ってしなやかに踊りながら音頭を取り、これを見た人夫たちはファイト一発とばかりにすっかり張り切って、意気揚々と巨石を曳いたというのです。きれいな女性には、いいところを見せたい男心をうまく利用した氏郷さんはさすがです。彼自身、そういう心情をよく知っていたのかもしれませんね。また、氏郷の家臣の中には、出雲阿国の愛人であったとう名古屋山三郎という人物がいたほどですから、氏郷さんも、京の遊女たちとは極めて懇意に交流しておられたのでしょう。
加賀前田藩の泣き石は一番北側にある。巨石の中でもひときは大きく、民家の屋根より高い。
 遊女のお色気効果に支えられた、蒲生の石曳き部隊を出迎えた秀吉は、その様子を見てとても喜び、自ら帷子(かたびら)を着て木やり歌を歌い、さらに笛や太鼓で囃す者たちを加えて蒲生の石曳き部隊を応援したと伝えられています。 
 一方、前田利長方が献上した巨石は、俗に「泣き石」と申しまして、巨石の白い筋目が涙のようであるから泣き石だという説や、また、あまりの石の重さに人夫一同が泣きながら運んだからだという説や、はたまた、あまりに経費がかかり過ぎて前田の殿様が、さいふを広げて「とほほ・・・」と泣いたからだという説などがあるそうです。前田の石曳き部隊と、蒲生の石曳き部隊、好対照を成していますね。
 ところで、蒲生氏郷の開いた町会津の女性は、愛想がよろしく、いつも男を立ててくれるやさしい女性が多いと聞きましたが、それは本当でしょうか。是非一度会津に行ってみたいものです。
会津若松の鶴ケ城にある一番大きな石は、遊女石と呼ばれている。

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