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加賀前田藩の泣き石は一番北側にある。巨石の中でもひときは大きく、民家の屋根より高い。
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遊女のお色気効果に支えられた、蒲生の石曳き部隊を出迎えた秀吉は、その様子を見てとても喜び、自ら帷子(かたびら)を着て木やり歌を歌い、さらに笛や太鼓で囃す者たちを加えて蒲生の石曳き部隊を応援したと伝えられています。
一方、前田利長方が献上した巨石は、俗に「泣き石」と申しまして、巨石の白い筋目が涙のようであるから泣き石だという説や、また、あまりの石の重さに人夫一同が泣きながら運んだからだという説や、はたまた、あまりに経費がかかり過ぎて前田の殿様が、さいふを広げて「とほほ・・・」と泣いたからだという説などがあるそうです。前田の石曳き部隊と、蒲生の石曳き部隊、好対照を成していますね。 |