石曳きの風景
 さて、冒頭の石曳き図屏風に戻りましょう。石の上で日の丸の扇を振りながら大はりきりで石曳きの指示に当たっているのは、伊井采女その人であるとのこと。采女さんのほかに一組のカップルも石の上に乗っています。一説によると、このカップルは、采女に気に入られ特別の寵愛を受けて、このような特等席に座ることになったのではないかとのこと。
 それにしても、権威を笠にきてなんとも偉そうな振る舞いの伊井采女。もみあげを伸ばしあごひげを蓄えて、ハイカラな南蛮風の着衣を身に着けていますね。その様子を好奇心に満ちた目で見物する人々。そして、ちょっと恨めしいような表情で采女を見上げる石曳きの人夫たち。「采女のだんな、こんなに重たい石、そんなにホイホイ曳けるもんじゃありませんぜ。勘弁してくださいよ。」というのが本音というところ。せっかく、石の上の特等席に乗っけてもらったけどなんだか戸惑い顔のカップル。殺気立った采女の後ろでデートタイムを過ごしても、ムードなんてないでしょう。よく見るとなんだか滑稽にも思えてくる情景です。
名古屋市の加藤清正像
 石曳きといえば、加藤清正の石曳き伝説が有名ですね。清正が城主時代に築城した熊本城の石垣のほか、清正が携わった江戸城・名古屋城・駿府城の石垣には、俗に「清正流」と呼ばれる独特の大きな反りが見られます。清正は武勇と戦略に優れた戦国武将であるのみならず、国内きっての石垣施工の名手でした。清正は石垣の石の運搬を指揮するのに、トレードマークの長烏帽子(ながえぼし)に陣羽織の武装を整え、自ら大石の上にのぼって、威勢良く木遣り唄を歌って音頭を取ったと伝えられます。名古屋城石垣には、今も彼の名にちなんだ「清正石」と呼ばれる巨大石がありますね。
 残念ながら、現在の高岡城跡には、わずかの石垣しか残っていませんが、高岡城にも築城当初は多くの石垣が築かれていたと伝えられています。高岡城の工事現場でも、きっと賑やかで威勢のよい石曳きの風景が見られたことでしょう。とりわけ高岡城築城は、加賀・能登・越中の農民を総動員し、慶長14年(1609)4月から9月の5ヶ月間という驚異的な短期突貫工事で進められたといいます。ちょうど、春から夏にかけての農繁期に、過酷を極める築城工事にかりだされた農民たちからは、「早く農地に帰してくれ。こんなにきつい労働には耐えられない。」と苦情の声もあがったようです。現場は、それこそ、てんやわんやの喧騒ぶりだったにちがいありません。工事を指揮する加賀藩の役人たちは皆、伊井采女のごときに殺気だっていたでしょうね。もしかすると、高岡城のプランニングをしたという高山右近が大石の上に乗って指揮をとった?! そんな場面がもしかするとあったのかも・・・知れませんね。

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