追記 4
会津若松城の時鐘
蒲生氏郷の時代、会津若松城の鐘楼堂にかけられていた時鐘は、なんと越中産の銅鐘であったようです。「新撰会津風土記」巻11には次のように記されています。

 「鐘楼堂、北の土居の上にあり時、守を置きて昼夜の時を報ぜしむ。旧事雑考 応永34年の記に、越中州新川郡布施保小川山千光寺 大旦那式部丞藤原長盛 大工沙弥了性、応永34年次丁未8月28日と彫付し古鐘、耶麻郡熱塩村示現寺にありしを、天正の頃 移して此堂に懸けしに、寛文中に破るという。よって同11年 改めて鋳、延享中に再び今の鐘を鋳る。・・・・・(中略)」

 これによると、会津若松城の初代の時鐘というのは、もとは越中新川郡の布施保、小川山千光寺に 応永34年(1427) 藤原長盛の寄進によって 沙弥了性が鋳造し納めたもの。それが、会津の耶麻郡熱塩村、示現寺に移り、さらに天正年間(1573-1592)に会津若松城の鐘楼堂に昼夜の時を告げる鐘として懸けられるようになった。しかし、寛文年間(1661-1673)に壊れたので新たに鋳造した、そして延享年間(1744-1748)にも再び今の鐘を鋳ったとのこと。
 富山県魚津市小川寺には、今もこの史料に登場する千光寺があります。そして、応永34年に鋳造されたという千光寺の鐘は、千光寺付近に居住した前沢金屋の鋳物師たちの手によるものと考えられています。沙弥了性なる人物は、前沢金屋の鋳物師連中を率いる親方でありましょう。
 現在、新潟県糸魚川市の経王寺には、会津若松城の初代の時鐘の作者、沙弥了性の名を刻んだ永享4年(1432)鋳造の梵鐘があります。この梵鐘は、高さ108センチ・底の直径が65センチ・厚さが5.5センチで、新潟県では最古の梵鐘であり、県の文化財指定を受けているもの。沙弥了性が率いる前沢金屋の鋳物師集団の往年の活躍ぶりが伺われます。
 高岡の鋳物は、前田利長が高岡を開町して以来、やがて400年の古い歴史を持つ地場産業であり、梵鐘の生産では全国シェアーの97パーセントを鋳造していることで全国的にも知られているわけですが、前沢鋳物師はその大先輩というわけです。
 また、前沢金屋に隣接する松倉郷は、鎌倉時代後期に郷義弘という優れた刀鍛冶を輩出した所として有名です。郷義弘が鍛えた刀は、天下の名刀として豊臣秀吉をはじめ、名のある武将たちの愛蔵の品となりました。現存する郷義弘作の名刀は2口が国宝の指定を受け、3口が重要文化財の指定を受けています。前沢金屋や松倉郷など現在の魚津市一帯は、古くから高度な鋳造技術を保持する鋳物師集団の居住地だったと考えられます。
 会津の示現寺は、大工道具のゲンノウの語源ともなった源翁禅師が600年前に護法山示現寺として建てた曹洞宗の古刹で、能登の総持寺の末寺にあたります。
なぜこの寺に越中前沢金屋の鋳物師たちが鋳造した鐘が移るにいたったのかは、判然としません。ゲンノウはご存知のように鉄の槌のついた大型ハンマーであり、源翁禅師と鋳造業とのつながりを感じないでもありません。また、源翁禅師は鋳物や刃物の産地として有名な新潟の三条燕の出自であるとの伝承もあり興味深いところです。越中新川郡の前沢金屋と源翁禅師や示現寺には鋳造を介して何らかの関連が存在したのかもしれませんね。 
 地元富山では、上杉謙信の勢が越中に進撃した時に、千光寺の鐘を略奪して持ち去ったものが会津に渡ったのではないかとの見方が有力ですが、梵鐘の移転には鋳物師集団や曹洞宗総持寺派の寺院勢力の活躍が関与している可能性もありそうです。
 それにしても、天正18年(1590)8月末に会津に入部したことを機に、会津若松城を大修築したという蒲生氏郷が、この越中産の鐘を示現寺から会津若松城に移転したかと思うと興味をひかれます。鐘が移されたという「天正年間」には、葦名氏、伊達氏、蒲生氏と3人、会津の領主が変わりましたが、城を「若松城」と新たに命名し、城郭の姿を一新した氏郷が鐘を移した可能性は高いのではないでしょうか。氏郷は、入部して間もない天正18年9月12日に示現寺にたいして門前100石を寄進していますが、或いはこの時に示現寺の梵鐘をもらいうけたのではないかと予想します。  氏郷は会津滞在中、奇しくも利長の領国である越中に起源を持つ古鐘の音を聞いていたのです。七層の天守閣に登り会津磐梯山の勇姿をながめながら、清らかな鐘の音の耳を傾け、越中と会津との深い縁を感じ取っていたのかも知れません。
会津若松城 鐘衝堂

 会津若松城には、延享4年(1747)に鋳造された梵鐘が今も残っています。時守を置いて昼夜の時を告げることは、戊辰戦争の籠城中も続けられました。開城のその日もいつもと同じように時鐘は打たれ、会津兵士の志気を鼓舞したと言います。鐘を打つ時守は、西軍の格好の標的となり、何人もの時守が銃弾に倒れましたが、それでも鐘が打ち続けられたそうです。そのような歴史を秘める会津若松城の鐘は、現在も朝6時・正午・夜8時の3回打ち続けられています。

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