追記 3
牛乗式と近江関寺
 下村加茂神社の牛乗式について少し補足します。牛乗式では、先ず牛に武士姿の「おうはな(王鼻)」が、「天下太平、五穀成就」と言って青竹で出来た矢に白羽を付けて本堂に向って放ちます。王鼻は、頭に赤い花飾りがついた兜を被り、赤顔に大きな鼻のお面を付けています。田の神とも猿田彦とも言われている王鼻が牛にまたがると、勢子たちに曳かれて御旅所のまわりを右回りに3回巡り、牛を地面に押し伏せるのです。この牛の所作は僧侶が御堂を右回りに3巡して仏にぬかづく仏教儀礼に基づくそうです。
 話しは飛びますが、大津市逢坂町の関寺(長安寺)という寺には、なにやら牛乳瓶にも似た巨大な宝塔があります。「牛塔」と呼ばれるこの塔は、全長3メートル余、胴回り約5メートルの大きなもので、昭和35年に国の重要文化財に指定されました。
 この牛塔の由来には、実は、興味深い越中の牛乗式とのつながりがあるのです。
 平安中期の栄花物語巻25「みねの月」によれば、
「荒廃していた関寺(現長安寺)の再建に、1頭の毛並みもつややかな黒牛が資材運搬等に大変活躍していたので、近所の住民がこの牛を借りて使役しようとしたところ、夢のお告げに「この牛は迦葉(かしょう)如来の化身で関寺の工事を助けるためにこの世に現れたものであるから、他のことに使ってはならない」とあり、あわてて関寺に黒牛を返した。この聖牛のことはまたたくまに評判となり、時の関白藤原道長をはじめ、著名な人々は参らぬものがいないほどに関寺に参り、いろいろな寄進をした。また、この聖牛の絵を描こうという絵師も現れた。そのうち、「この黒牛はお堂が出来る頃にはこの世を去って涅槃にいるだろう」とうわさが立ったので、ますますその評判は高まり、当時浄土教に心奪われていた京の貴族たちは霊験あらたかな牛をひとめ拝んで仏縁を得ようとぞくぞくと関寺におしかけ、逢坂の関は関寺詣での人々で大騒ぎとなった。この「関寺霊牛フィーバー」のことを聞いた和泉式部は「ききしより牛に心をかけながらまだこそ越えぬ逢坂の関」と詠んだほど。関寺の黒牛は、うわさの通り万寿2年(1025)5月中ごろより弱り始めお堂の側に伏して何も食べなくなったが、ある日むっくり起き上がり、本堂の周りを巡るとぱたりと地に伏せそのまま息を引き取った。ちょうど、絵師が聖牛の絵を完成させ眼を入れた日のことで、その日は6月2日だった。牛塔は、その牛が死んだため供養に建てたものだという。」
この「関寺霊牛フィーバー」は、よほどの加熱ぶりであったらしく、いろいろな物語、日記などにも書かれています。「今昔物語集」巻12第24話「関寺駈牛迦葉仏語」は、次のように語っています。
「今は昔、左衛門大夫平朝臣善清という人がいた。その父は中方(なかかた)といい、越中の守であったとき、越中の国から一頭の黒い牛を入手した。中方は永らくこの牛に乗り歩いたが、清水寺の知り合いの僧にその黒牛を与えた。牛は、その後、清水の僧から、息長正則・関寺の聖人へと渡り、関寺修造の材木運搬をした。やがて、この牛は聖人の夢に現れ、自分は迦葉仏の化身であって、関寺の仏法を助けるために牛となって来ているのだと告げた。」これによると、「関寺霊牛フィーバー」の聖牛は、もとをたどれば、なんと「越中産」だったのです。
そして、三井寺の僧侶多数が関寺に参拝した時に、見せたこの「越中牛」の行動というのが、特筆すべきで、
「関寺の聖人に続いて三井寺の僧侶皆が、牛に礼拝したところ、その時、牛はお堂を右回りに3回巡って、仏の御前に向って庭に臥した。聖人をはじめ一同は、驚きなんと不思議なことだといって仏の周囲を三回巡って喜んだ」というのです。
三回まわってワン、ではなく三回まわってモー、は牛乗式での牛の所作と同じです。
さらに、死に瀕してこの牛は、
「2.3回倒れ起きしながらもよたよたとお堂のまわりを3回めぐり終えると、牛小屋に帰り着き、枕を北にして倒れ伏し、四足をさし伸ばして眠るがごとくに死んでしまった。」とあり、往生際でも三回まわってモーをやったのです。先にも述べたとおり、この牛の所作は僧侶が御堂を右回りに3巡して仏にぬかづく仏教儀礼に基づくもの。下村加茂神社の牛乗式の成立と、京で一世を風靡した「関寺霊牛フィーバー」が結びついていると推察されます。
そして、この牛が越中牛であったことには、おおいに興味をそそられますね。
 ちなみに、現在の牛肉の原産地表示の場合、JAS法上の一般ルールに従って「飼養期間が一番長い飼養地」が原産地となるそうです。例えば、オーストラリアで2年飼育して日本に生きたまま輸入した後、日本で1年間飼育した牛の肉は「国産」ではなく、「オーストラリア産」になるのです。この関寺の牛の場合、「越中牛」というのか、「近江牛」というのかは、ちと判断しづらいように思われます。

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