氏郷と利長 牛の話
 加賀前田家の家祖が、天神菅原道真であることは、すでにお話しました。高岡では、天神様を正月神としてお祀りする習慣があります。正月に天神像を拝む習慣が見られるのは、加賀・越中・信州の一部それと越前と若狭の一部のみだそうです。その中でも、我が高岡では特別に盛んなのです。金沢のように、正月に天神様を飾る習慣がすっかり寂れてしまい今ではほとんど見られなくなっているところもあります。
 私たちは毎年これが当たり前だと思って、床の間に天神様を飾り拝んでいますが、言ってみればこれは一種の奇習です。高岡では、今日でも初孫の男子が誕生すると天神様を新たに買い与え、賢く元気に成長しますように願掛けするのが慣わしとなっていますので、毎年10月頃から市内の玩具屋には新作の天神様がずらりと並び、天神様のスポンサーである、おじいさんおばあさんが年金を片手に御来店されるのを待っています。
 我が家の天神様は牛に乗っておられます。余談となりますが、大正時代に高岡で販売された天神様には、なんと飛行機や自動車(フォード社製T型オープンカータイプ)に乗った天神様があったと聞きおよび大変に驚きました。このような話を聞くにつけても、やはり、高岡の天神信仰は奇習のようです。
 それはさて置き、天神様はなぜ牛に乗っているのでしょうか。一説には、「菅原道真公は、承和十二年(845)の生誕だが、この年が丑年。延喜三年(903)太宰府で亡くなったその年もまた丑年で、道真の遺言により亡骸を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を墓所と定めて神廟が建てられた。それが現在の太宰府天満宮である。以来牛は、天神様の神使い、天神様を守護する動物として信仰されている」とのこと。牛づくしでまことに有難い話ですが、いかにも、後世のこじつけのよう。直接、太宰府天満宮に「なぜ天神様は牛に乗っているのですか」とお尋ねしたところ、先の逸話のほか、「天神信仰が初め農耕神として発展したことや、当時牛が農耕のシンボル的存在だったことも大きく関係しています。」と教えてくださいました。なるほど。天神様は学問の神というだけではなく、農耕神という古くからの性格を持っているのですね。
 加賀前田家が、牛と関り深い農耕の神=天神様を藩主の家祖だといって領民に信仰を普及させたことは、加賀藩が推進する農業振興政策とも密接に関っているように思えます。
 蒲生氏郷の出生地、近江国日野蒲生は古くから屈強な牛の産地として有名でした。以前、「長兵衛、キリシタン料理を食す」の中で、小田原攻めの陣中、蒲生氏郷と細川忠興(ほそかわただおき)が、高山右近のところに牛肉を食べに行ったというお話をしました。これは『細川家御家譜』という古文献に出てくる話です。この時の牛肉は右近のおごりだったようですが、氏郷も牛肉食文化の普及には貢献が大きかったようです。瀧川昌宏著『近江牛物語』(淡海文庫)に、そのあたりのことが詳しく書かれています。
近江牛
 古来より仏教思想の影響を背景に、日本では食肉習慣があまり普及しなかったと言われていますが、近江地方は別格だったようで、江戸時代を通して近江の彦根藩は将軍家や親藩に「牛肉の味噌漬け」「干し牛肉」を「養生肉」の名目で贈ることを恒例としていました。薬種として牛肉が食べられていたのです。彦根の牛肉は美味で滋養に富むと評判が高く、なんと赤穂浪士の大石内蔵介も贈答用に彦根の「牛肉の味噌漬」を用いたそうです。今日、美味い牛肉として誉れ高い近江牛のブランドはその頃すでに築かれていたというわけです。
 この彦根の牛肉すなわち近江牛肉のルーツは、蒲生氏郷が日野に楽市楽座を置き、商工業を発展させ敏腕商人として名高い「近江商人」が誕生した時代にあるらしい。氏郷は、後に南伊勢12石に転封となり、松坂の城下町を開きました。そうです、松坂牛の松坂です。氏郷は松坂の町に近江国日野より、自らが育成した商工業者を多数呼び寄せ、ここでも楽市楽座で町の活性化を図りました。「近江商人」だけでなく、「伊勢商人」育成の親も氏郷だというわけです。言ってみれば、三井財閥も松坂屋デパートも蒲生氏郷がいなかったら存在しなかったかも知れないのです。近江日野と伊勢松坂とは、物資輸送、商人たちの往来を通じて交流は活発でした。近江牛・松坂牛の発祥に氏郷が関っていたことは予想に難くありません。
会津若松の郷土玩具あかべこ
 氏郷は長く松坂には留まらず、次に黒川42万石へ移封となり、会津若松の城下町を築きました。ここでも氏郷は、近江商人・伊勢商人や職人を多数眷属させて入部し、漆器・綿織物・蝋燭などの特産品を育成して商工業の盛んな町づくりを目指しました。
 会津には「あかべこ」という牛の形をした郷土玩具がありますが、この「あかべこ」の作り方は蒲生氏郷が伝えたそうです。「あかべこ」のルーツも牛肉食文化にあるのでしょうか。興味深いですね。
 美食肉の双璧、近江牛と松坂牛の発祥に、蒲生氏郷が関っていたらしいということには驚きましたねぇ。彼のバイタリティの源は「牛肉の味噌漬」だったのでしょうか。もしかすると、蒲生氏郷と前田利長が、合い席して牛肉に舌づつみを打つなんて場面もあったかもしれませんね。利長の方の越中牛肉食文化は、どのような歴史があるのか気になるところです。あまり、知られていないことですが、天正15年(1587)秀吉がキリシタン禁教令を出した時に、その中で牛肉食も禁止をしています。ちょうど、氏郷と利長が九州攻めの巌石城の合戦で大活躍していた頃のこと。血気盛んなふたりが、この牛肉食禁止令に従ったかどうかは定かではありません・・・。細かいことを言うようですが 、ちなみに、小田原攻めの陣中で高山右近・蒲生氏郷・細川忠興らが牛肉を食べたのは、禁教令から3年後の天正18年のことです。

 牛肉の話をしているとおなかもすいてきましたので、今回はこの辺でお開きと致します。ちなみに、牛肉のすき焼には甘口の山元醤油が好適ですよ。
 築城の話で始まって、すき焼の話で終わるとは、我ながらどうなっているのかと思います・・・。しかし奇しくも、牛に始まり牛に終わったのであります。悪しからず。

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