7.大奥と祖心

 将軍家光は30歳を過ぎても世継ぎに恵まれず、春日局を大いに悩ませました。しかし、そんな家光が、寛永14年(1637)、34歳のときに「祖心の孫娘」といわれる、側室お振の方との間に千代姫を授かりました。そしてこれを機に、将軍家の後継者問題は解決へと舵を切りました。歴史には残らない事とはいえ、祖心の関与が江戸城大奥に大きな転機をもたらしたことに疑いはありません。
 寛永18年8月3日には、側室お楽の方が待望の世継ぎ、竹千代(のちの四代将軍家綱)を生みました。これを春日局が手放しで喜ぶ様子、竹千代を自らの手に抱いて将軍家お世継ぎのお披露目式に堂々参上する様子は、ドラマ『大奥』にも描かれていましたね。しかし、その翌々年9月に局は力尽きるように亡くなっています。享年64歳でした。局亡き後も家光は、のちの甲斐府中藩主徳川綱重(生母お夏)、五代将軍綱吉(生母お玉)、鶴松(生母おりさ 夭折)、亀松(生母おまさ 夭折)の子宝を得ました。
 270年続いた徳川の世の安泰は、将軍の血統が確実に次世代へと引き継がれていくことによって維持された、そうといっても過言ではありません。将軍家の血を絶やさぬために存在した江戸城大奥、その体制を確固たるものにしたのが春日局であり、そして祖心でした。

【徳川家光の奥方たち】


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