4.春日局
文京区 春日局銅像
  江戸城大奥を語るに欠かせない人物、それは三代将軍徳川家光の乳母、春日局。しかし、この女性の人物像もまた実に様々に語られ、一様ではありません。
  丹念な歴史考証と流麗な文章で綴られた『徳川の夫人たち』下(吉屋信子著 朝日文芸文庫)は家光の側室、お万の方(伊勢慶光院の院主)の生涯を描いていますが、そこに登場する春日局はお万の方と対立する少々冷酷な人物です。また、ドラマ『大奥』では、家光にあらん限りの母性愛を注ぐ健気な女性として描かれていました。春日局役の松下由紀さんの熱演に毎回、涙、涙の感動だった人は多いのでは? そして、老中たちをも跪かせるほどの権力で江戸城に君臨した女帝として描かれることもしばしば。
 さて、大分県の臼杵市二王座には「春日局屋敷跡」と伝わる一画があります。なぜ、そんなところに春日局のお屋敷があったというのでしょうか?そこには観光用案内板もたてられていて、次の様な記載が。
春日局(お福の方)は初代臼杵藩主稲葉貞通の父、一鉄の長男重通の養女である。『御家系典』という稲葉家の系図によれば、春日局は慶長8年(1603)の春、夫林正成(稲葉正成)と離別の後、二王座のこの地に帰ってきたとされている。その後、子らと共に江戸城に上り、将軍秀忠の侍女となった。容色美麗であったことから春日局は将軍の目にとまり慶長9年7月、竹千代(家光)を生んだ。しかしながら、父斉藤利三が明智光秀と共に織田信長を討った理由で竹千代は秀忠夫人の子と披露されたと記されている。この話の真偽は定かではないが、家光の乳母となり江戸城大奥で権勢をふるった春日局にまつわる興味深い話であ
  ふ〜む、臼杵に春日局が一時期身を寄せていたというのも初耳ですが、
日光輪王寺 大猷院所蔵
徳川家光坐像
(「日本の美術」より)
三代将軍徳川家光と春日局とが、 血を分けた親子とは、まさに「大奥の秘密」ですね。しかし、案内板にもあるとおり、真偽のほどは定かではありません。
 家光に海より深い愛情を注いだ春日局。弟徳川忠長を退け、家光が将軍の座に着いたのも春日局の後援があったればこそ。そして、家光が将軍になってからの彼女の最大の悩みは、世継ぎ問題でした。元和9年(1623)には、関白鷹司家から孝子を正室に迎えた家光でしたが不仲であり、30歳を過ぎても世継ぎには恵まれませんでした。一説に若い頃の家光は男色好みであったとも。春日局は徳川の血を絶やさぬため側室探しに奔走し、記録に残るだけでも9人もの女性を次々と奥入りさせました。そして、春日局の側室探しの一番の協力者、それが祖心でした。

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