17.まとめ
『仮名書聖徳太子憲法』済松寺所蔵
新宿歴史博物館発行『済松寺』より転載
  今回は、祖心というひとりの女性が、江戸城大奥で送った人生を追跡してきました。将軍の乳母でも、将軍の側室でも、将軍の生母でもなく、40歳を過ぎた頃に大奥の世界に飛び込んだ祖心は、大奥で日々繰り広げられる愛と欲望のドラマとは、すこし間隔をおいたポストにありました。そのような祖心は、大奥の歴代リーダーたちの中では、特異な存在ではなかったでしょうか? 
 将軍家光の乳母という経歴を持ち大奥に君臨した春日局から、大奥総取締役を引き継いだ彼女は、実にユニークな方法で大奥をまとめていたようです。例えば、彼女は聖徳太子の十七条憲法の精神を側室や奥女中たちに説き聞かせるため、十七条憲法をかな文字にして分かりやすい文体の教本を作りました。それが、済松寺に今もつたえられている『仮名書聖徳太子憲法』です。それから、祖心は側室や奥女中たちに禅宗の法話を頻繁に語りました。祖心が語った法話を集めた『祖心尼公法語』(済松寺所蔵)は、大奥の女たちの心の支えとなったそうです。
 近年、女性の社会進出が急速に進み、女性リーダーに必要な資質とは何かが各所で問われるようになっています。
  人に安心感を与える
  人を支え励ますことができる
  人と人とをつなぐことができる
  問題解決に意欲的である
  相手に分かりやすい説明ができる
  このような能力に長けた女性が、現代社会のリーダーとしてふさわしいと分析する人もありますが、それはそのまま全て、祖心に当てはまるのではないでしょうか?
 大奥といえば春日局。その大きさの陰に隠れて、これまであまり知られなかった祖心ですが、現代の女性リーダーたちの処世術を考えるヒントをも彼女は与えてくれそうです。
 『枯木猿猴図の謎』とは名ばかりで、あまり謎解きになるようなものが発見できなかったことをお詫びし、この辺りで終わりとします。また、新たな史実が見つかりましたら、随時お知らせしたいと思います。
 それにしても一枚の水墨画から、かくも興味深い歴史秘話が紐解かれようとは予想もしませんでした。祖心の歩んだ88年の人生は、「事実は小説よりも奇なり」という言葉のとおりですね。

【祖心の生涯 後半】
36歳 元和9年 1623 家光 鷹司孝子を正室に 家光が将軍となる
38歳 寛永2年 1625 伊勢慶光院、江戸代官町に屋敷地を賜る
39歳 寛永3年 1626 お江 死去 春日局(お福)が大奥の総取締役となる
前田利常の娘亀鶴姫、将軍忠秀の養女となり森忠広に嫁ぐ
41歳 寛永5年 1628 会津蒲生藩改易 祖心江戸に出る
42歳 寛永6年 1629 紫衣事件 沢庵、上ノ山に流刑
43歳 寛永7年 1630 亀鶴姫死去
前田直知死去  山鹿素行、林羅山に入門する
44歳 寛永8年 1631

前田利常の母、寿福院死去
寛永の危機  前田長種と直正が死去

45歳 寛永9年 1632 将軍の息女大姫と前田光高の婚約が決まる 
利常、下屋敷造営を命じる
徳川秀忠死去。大赦により沢庵、刑を免ぜられる。
46歳 寛永10年 1633 大姫入輿
47歳 寛永11年 1634 家光上洛。春日局、祖心が同伴する
48歳 寛永12年 1635 参勤交代の制度確立
50歳 寛永14年 1637 島原の乱 家光の側室お振、千代姫を生む
51歳 寛永16年 1639 伊勢慶光院の院主、家光に謁見する
品川東海寺建立、沢庵が開山となる。
52歳 寛永17年 1640 千代姫尾張徳川家に嫁ぐ。お振死去
53歳 寛永18年 1641 牛込穴八幡宮造営。加賀藩が土木作業員数百人を送る
家光の側室お楽、のちの四代将軍家綱を生む
54歳 寛永20年 1643 春日局死去 祖心が大奥の総取締役となる
大姫、前田光高の長男犬千代(綱紀)を生む
57歳 正保元年 1644 家光の側室お夏、後の甲斐府中藩主徳川綱重を生む
59歳 正保2年 1646 前田利長三十三回忌法要 前田光高死去
沢庵死去  大橋龍慶死去
60歳 正保3年 1647 済松寺の寺地と山号寺号を拝領。
大橋龍慶の屋敷地を拝領。済松寺の造営始まる
家光の側室お玉、のちの五代将軍綱吉を産む
61歳 正保4年 1648 町野幸和死去
  慶安元年 済松寺設計図完成
64歳 慶安4年 1651 徳川家光死去 由比正雪の乱
65歳 慶安5年 1652 お振の(自証院)の御霊屋建立
  承応元年 家光の御霊屋建立
68歳 明暦元年 1655 祖心上洛
65歳 明暦2年 1656 大姫死去
66歳 明暦3年 1657 明暦大火(振袖火事) 江戸城本丸焼失
67歳 万治元年 1658 前田利常死去
72歳 寛文3年 1663

前田利長五十回忌 瑞龍寺が完成する
済松寺に妙心寺雑華院から水南和尚入山

  寛文6年 1666 山鹿素行、赤穂に配流される
81歳 寛文8年 1668 済松寺の寺領のうち4万6千坪を尾張徳川家戸山屋敷に譲られる
84歳 寛文11年 1671 尾張徳川家の千代姫、幕府から戸山屋敷地8万5千坪を拝領する
88歳 延宝3年 1675 3月11日祖心死去  山鹿素行赦免となり江戸に戻る

【取材にご協力くださった皆様】
  • 臼杵市教育委員会
  • 中央区郷土天文館
  • 東近江市市史編纂室
  • 江戸歴史散歩の会
  • 白山白比盗_社
  • 高岡市立中央図書館
  • 野々市町教育委員会文化振興課
  • 野々市町町立図書館
  • 蔭涼山済松寺
  • 新宿区立新宿歴史博物館
  • 田垣喜久雄さん(玉城町)
【参考図書および文献】
  • 加賀藩史料
  • 竹田神社安井家文書
  • 『江戸のなりたち1江戸城・大名屋敷』 追川吉生著 新泉社 2007年
  • 企画展『尾張家への誘い』 新宿歴史博物館 平成18年
  • 特別展『江戸名所図絵でたどる新宿名所めぐり』 新宿歴史博物館 平成12年
  • 特別展『蔭涼山済松寺文化財報告書』  新宿歴史博物館
  • 『蔭涼山済松寺 寺社書上 済松寺文書』新宿近世文書研究会 平成17年
  • 「金谷御殿の八幡宮」『石川郷土史学会会誌第21号』
  • 『徳川将軍家と加賀藩―姫君たちの輝きー』 石川県立歴史博物館  平成22年
  • 『瑞龍寺展』図録 石川県立美術館 平成9年
  • 『日本の美術』506 江戸時代の彫刻 2008年7月 至文堂
  • 『週刊 江戸』6 大奥、誕生 デアゴスティーニ 2010年3月
  • 『新版 名城を歩く 9 江戸城』 咳HP研究所 
  • 『加賀藩繁盛記』山本博文 NHK出版 2001年
  • 『カムイ伝』第二部 白土三平 赤目プロ作品


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