3.祖心って誰?
開基祖心尼像
済松寺所蔵 開基祖心尼像

 利長の死後「枯木猿猴図」を譲り受けた、「江戸蔭涼山 祖心尼公」とは誰なのでしょうか?
 その答えは、東京都新宿区榎町の臨済宗寺院、蔭涼山済松寺(いんりょうざんさいしょうじ)にありました。祖心(そしん)自らが江戸時代のはじめに開いたお寺の古文書に、彼女の生涯が伝えられていたのです。
 その寺伝によれば、祖心は高岡を開いた殿様、前田利長の養女でした。実父の名は牧村兵部利貞(まきむらひょうぶとしさだ)。文禄の役のとき、実父が朝鮮半島で戦死したので、まだ6歳だった祖心は前田利長のもとに引き取られ、養育されたのです。
 利長は織田信長のむすめ永姫(えいひめ)を正室としていましたが、子どもには恵まれませんでした。側室との間に唯一の実子、満姫が生まれるも早世しています。利長は異母弟の猿千代(三代藩主前田利常)を養子に迎え家督を相続しました。『加賀松雲公』によれば、利長は5人の養女を迎えており、そのひとり「古那」という女性こそが祖心その人でした。
  また、寺伝に曰く、祖心は和漢の古典に精通し、仏徳を備えた博識の人として世に 誉れが高く、しかも大奥を牛耳っていた春日局(かすがのつぼね)の親戚筋にあたることから、大奥に入って局の側近となりました。
江戸名所図会 牛込 済松寺
江戸名所図会 牛込 済松寺

 そして、祖心の孫娘は三代将軍徳川家光の側室となり、千代姫を産みました。この千代姫は3歳のときに、日本史上最高ともいわれる豪華絢爛たる調度品を揃えて、尾張徳川家に嫁いでいます。
 三代将軍家光から特別の信頼を得るようになった祖心は、江戸牛込に一万坪もの広大な土地を拝領し、将軍直々の命により禅宗寺院済松寺を開きました。済松寺は、天保5年(1834)に出版された『江戸名所図会』にも描かれるほどの、大江戸を代表する名所となりました。
 祖心について地元高岡では、これまでまったく注目されることがありませんでしたが、前田利長の養女の中には、こんなにもすごい女性がいたのです。最近は、「大奥」がテレビドラマに映画にと大人気。若い女性の中には、お互いを「御台さま」「お局さま」「御上臈さま」「お末」「お犬」だの呼び合って、お戯れになっている楽しいお仲間もおられるとか? 徳川家光時代の大奥で活躍した祖心の、波乱万丈の生涯を、もっと詳しくお話しましょう。


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