銅像づくりに励んだ、米治一
JR高岡駅前 米治一「大伴家持と乙女」の像
 地元でよく知られている、二上山の大伴家持像・高岡駅前の大伴家持と乙女の像・高岡古城公園本丸広場の前田利長騎馬像・有礒正八幡宮の右大臣左大臣像・高峰公園の高峰譲吉像はみな、横田町に居住した原型師米治一(こめじいち)の作品です。全国的にも著名な銅像作家であった米治一は、晩年に到っても旺盛な制作意欲を持ち続け、数多くの銅像作品を残しました。彼は根っからの仕事好きで、土を握らない日は一日も無かったと彼を知る人はいいます。戦時中の金属供出で銅像制作が困難だった時代には、横田町の自宅に窯をつくりテラコッタ製作や陶芸に励みました。家族には、「伝説や歴史に登場する人物の姿や人格に想像をめぐらせ形にすることが何よりも楽しい。この仕事は自分にむいている」といつも語っていたそうです。
 米治一は明治29年に横田町の呉服商の家に生まれました。富山県工芸学校金工科を卒業すると、大正2年に東京美術学校予備科に入学し高村光雲に師事しました。同8年に東京美術学校塑像部を卒業して、さらに研究科に進学し中央での活躍を期待されるも、事情があって大正10年に帰郷しています。中野双山も米治一も、本人たちにとっては東京に夢を残しての帰高だったのかもしれませんが、彼らのUターンによって地元銅像産業にもたらされた恩恵は実に大きかったのです。
米治一は帰郷とともに高岡で原型師としての本格的な活動を始めました。彼は、展覧会にはたった一度しか出品することはありませんでしたが、生涯のうちになんと2000基以上もの銅像を作り上げました。一生のうちにこれほどの数の銅像を作った超人がほかにあるのでしょうか。米の銅像は全国各地に分布しており、その品格ある作風は今もなお多くの人々に愛され続けています。福岡県JR博多駅前の巨大な黒田武士像や、和歌山県田辺市湊の弁慶像、岩手県水沢公園の後藤新平像、福岡県JR小倉駅前の祇園太鼓像、福井県永平寺の一葉観音像、長野県野尻湖の金龍銀龍などは代表的な米治一作品です。また、皇居二重橋の勾欄照明塔や皇居新宮殿屋上の「瑞鳥」を製作したことでもその名を高めました。
 第一回万葉まつり開催を記念して昭和56年に製作された高岡駅前の大伴家持像は、米治一が85歳のときの作品です。まわりの気遣いをよそに、米治一は迷うことなく依頼を快諾し製作に勤しみました。彼が没したのは、大伴家持像制作からわずか4年後の昭和60年2月4日、89歳の大往生でした。銅器の町に生まれ、生涯を通して果敢に銅像づくりに打ち込んだ米治一は、銅像の町高岡にとって忘れえぬ偉人です。              
二上山の大伴家持像 米治一作
有磯正八幡宮の随臣像 米治一作
高岡市立横田小学校前庭の米治一作品
高岡古城公園本丸広場 前田利長像 米治一作
高峰公園 高峰譲吉像 米治一作
横田小学校 獅子像 米治一作 獅子は横田小学校のシンボル

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