井上江花の高岡銅像論
最近、市内の民家の土蔵で発見された
初版の「高岡新報」
高岡中央図書館所蔵

 今から90年ほど前の大正3(1915)年4月4日、「高岡新報(北日本新聞の前身)」の紙面に、主筆の井上江花(忠雄)は「高岡銅像論」を発表しました。
高岡銅器はその産額百数十万円を算して、実にわが富山県重要工産中の巨擘(きょさ)なり。しかしてその製作品の種類について見れば、花瓶・瓶掛・置物などを重(おも)なるものとし、いずれも前途有望ならずとせざるも、茲(ここ)に高岡銅製品中、特記せざる可らざる物あり。世人多く注意せず、当業者もまた関心するところ少なき、人物銅像 すなわち是(これ)なり。」と始まる「高岡銅像論」において、井上は、「銅像」とくに「人物銅像」は高岡にとって将来有望な製作品であることを余すところなく説いています。
 すなわち、井上は、銅像制作は高岡銅器の新技術として今やその頭角をあらわそうとしているにもかかわらず当業者が熱を入れようとしないのは、他の工芸品と違って需要が低いからにほかならないが、それは大型銅像のことであって、小型の銅像ならば記念品や置物としての価値もあり前途は極めて有望である、一方大型銅像も時勢の進歩とともに需要が高まり20世紀の工業の一特色として栄えある将来が約束されているのだから銅像制作にもっと着目してほしいと、高岡の銅器業者たちの奮起を促しました。
 そして、銅像の長所として、耐久力が優れていて長く後世まで残ること、木像・塑像とちがって野外に置くことも可能で保存方法が簡便なこと、写真や絵図にはない立体表現ならではのすばらしさがあることなどを挙げ、また、その効用として、銅像単体の芸術品としての価値はもちろん、庭園・公園・街路や寺社の境内など公共の場に設置することで景観に風趣を添えて美観をより一層高める効果があること、偉人を顕彰する銅像には人を感化する影響力が大きく社会教育的効果があり貢献心や郷土愛の醸成にもつながること、その具体例として、欧米の文明国では公園・街路・建築などに人物像を設置していてその数は記しきれないほど多い、帝王・英雄・詩人・学者はもちろん社会に貢献した人物の銅像が都市のいたるところに見られることを挙げています。
 さらに、当時の需要のみから銅像製作の将来性を判断している高岡の銅器業者に対して、現状から判断してはいけない、大正は「第二の維新」の時代であるから明治維新がそうであったように、大正もまた多くの傑士偉人を輩出するに違いないので、その人物たちの人格や偉業を永く顕彰するために「人物銅像」の需要はおおいに増えるであろう、また社会教育のためには積極的に「人物像」を活用すべきである、そして「銅像」にとって建設される「場所」の適否やまわりの景観との調和はなにより大切であり、風致が銅像の芸術的価値の評価に密接な影響を及ぼすのであるから、銅像の普及は建設や築庭の今後の発展に負うところが大きい、未来の建築技術の進歩によって銅像の需要も自ずと増大すると先見的展望を述べています。
 社会教育的効果を持つ人物像の製造をと唱えているところは、後に昭和6年、高岡銅像史上空前の大ヒット作となった「二宮金次郎像」を想起させられ興味深いところです。
この「高岡銅像論」が発表された大正3年は、ちょうど山町筋の土蔵建築群の真ん中に赤レンガの高岡共立銀行(現富山銀行)が竣工した年でもあります。高岡では明治22年設立の白亜の高岡銀行(今の郵便局筋向いにあった)、同23年設立のレンガ建て高岡紡績(今の大町にあった)などの西洋建築がすでに誕生していましたが、大正時代を向かえ同2年に建設された西洋風ゴシック様式の高岡市庁舎(片原横町)に続いて翌年に赤レンガ銀行建設が登場し、高岡の人々は建築様式が急速に変化しつつあることをつぶさに感じ取っていました。井上の「未来の建築技術の進歩によって銅像の需要は増大する」との論には高岡市民をあげて肯かされたと思います。
富山銀行(旧 高岡共立銀行)は、清水組(現清水建設)の田辺淳吉が設計し、近代建築家の辰野金吾が監修した。外壁は赤レンガ、屋根は緑青の銅板、柱の基礎部分や窓回りに花崗岩を使用、正面の入口には、エンタシス様式の石柱に三角の破風、窓の装飾はルネサンス様式を用いる。
 さらに、井上が高岡古城公園内に前田利長像を設置することを提案しているのも興味深いところです。井上は、高岡はこれまでも何体かの銅像製作し県内外に建設しているにもかかわらず、産地たる高岡の銅像といえば、未だ完成を見ない大仏ただ一体のみであるのは不思議千万である、富山と直江津をつなぐ富直鉄道(今の北陸本線)の全通によって高岡への観光客増加が期待されるこのときに、「銅器・銅像の高岡」をアピールする何よりもの広告塔として前田利長像を設置すべきであり、高岡市がそれをやろうとしないのは「商的知識を欠くの甚しきものと謂うべきなり」ビジネス感覚の欠如としか言いようもないとしています。また「銅像館」を設置して、高岡で製作した幾多の銅像を陳列すれば、全国にふたつとない異彩を放つことになるであろう、さもなければ、古城公園内や桜馬場や駅前通りの路上に銅像を建設して「万衆の眼を惹かしむべきなり」、銅像の1つ2つをケチらず作るべきだと提案しているところは、現在、古城公園の本丸に建っている前田利長騎馬像の設置や地場産センター、高岡古城公園の「芸術の森」、「彫刻のあるまちなみづくり」、そして「パブッリックアート構想」までをずばり予言しているようで痛快ですらあります。
 「20世紀は銅像の流行をもって、一の特色を現すべしとの想像は、決して妄誕にあらざるなり。高岡銅器業者が起きてその技芸の新生面を拓くべき時機は来れり。」井上のこの論調に心揺さぶられた銅器業者は多かったのではないでしょうか。

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