高岡地場産センター 黄金色の美空ひばり像
はじめに
 銅器鋳物の町高岡には、銅像が多く見られます。学校に置かれている偉人の胸像、古城公園や街角や街路に設置されている芸術作品、アート作品、そして銅器を扱う商店や工場の前に無造作に置かれている数え切れないほどの銅像のサンプルも含めるとそれはもうたいへんな数、日本一の銅像の町、高岡ならではの光景です。
 「なぜ高岡で銅像づくりがさかんになったのか、高岡で銅像が造られるようになったのはいつからなのか」―― 私はいつものくせで、またまたこのどうでもいいような疑問のため、調査を開始したのです。
善徳寺燈篭
 慶長14年(1609)、高岡に城下町を開いた前田利長は、町の商工業振興政策として、慶長16年に河内国丹南(今の東大阪市)勅許鋳物師(いもじ)の流れを組む7人の鋳物師を戸出西部金屋から高岡に招いて、千保川河岸に宅地(今の金屋町)を与え5つの吹き場を築かせました。この5つの吹き場の火焔こそが高岡鋳物のルーツです。利長は、鋳物師たちに免税など職業的特権を与えて保護しました。以来、高岡鋳物師は加賀藩の手厚い保護もと、鍋釜づくりを中心に産業を発展させ、越中高岡は鋳物の一大産地として知られるようになりました。
 その高岡で銅像づくりが始まったのはいつのことなのでしょうか。銅像は明治の文明開化の時代、西洋美術とともに日本にもたらされ、国内製作が始まったわけですが、高岡には技術的な下地として江戸時代からの大型銅器の燈篭や仏像や狛犬の製作があったことは言うまでもありません。天保15年(1844)に若野四郎左衛門鋳造の宗泉寺(そうせんじ)の十一面観音(高岡市金屋町) 、弘化2年(1845)に佐山長右衛門鋳造の城端善徳寺(じょうはなぜんとくじ)の大燈篭、弘化3年(1846)に藤田勘右衛門に鋳造の越前月光(げっこうじ)の武生(たけふ)大仏、嘉永6年(1860)に若野四郎左衛門鋳造の高岡関野神社狛犬(供出)などはその代表例でしょう。
 後にも詳しくお話しますが、江戸時代初頭にその起源をもつ鋳物の町高岡で、初めて銅像が作られたのは、明治10年代のことです。地場産業としての銅像づくりは日清日露戦争後の世の中が戦勝ムードに沸き立っていた明治後期から大正期に徐々に本格化しました。近世からの優れた鋳金技術があったとはいえ、原型製作を専門とする人材さえいなかった高岡でしたが、明治中期に富山県工芸学校が設立されると、近代的彫刻技術や金工技術が導入され、銅像づくりの土壌が固まりました。そして、昭和に入ると、いくつかのヒット作にも恵まれ銅像産業はにわかに隆盛しました。
 しかし、この時代に作られた銅像の多くは、昭和16年(1941)に始まった第二次世界大戦の金属供出で、釣鐘・燈篭とともにその姿を消しました。戦中戦後は、銅像の注文も途絶え、金属供出で原料すらなく、高岡の銅像づくりにとって暗黒の時代でした。戦後、高岡銅器産業の復興とともに再び銅像が作られ始め、金属供出で失われた銅像の改鋳も多く行われました。銅像は高岡から全国各地へ盛んに移出されるようになり、高岡は日本一の銅像の産地として全国に知られるまでになりました。国外にも販路は拓かれました。
 昭和30・40年代の頃は、高岡の街中にいつくもの鋳物工場や銅器問屋があり、屋内に入りきらない大きな釣鐘・神馬・狛犬・座牛・ライオン・虎・鹿・鶴・燈篭・仏像・弘法大師・親鸞上人・日蓮上人・仁王・七福神・裸婦・二宮金次郎などの銅像作品が、道端に処狭しと置かれ、「高岡らしさ」をぷんぷん周囲に発散していたものです。
 ところが、40年代半ば頃、このような高岡の町景観にも大きな変化が起きることになりました。工業団地や問屋団地が郊外にでき銅器関連の企業が移転すると、街中に銅像があまり見られなくなったのです。「銅像の町」のイメージが薄らいだようにさえ思えましたが、代わって公共事業により設置された銅像群によって町のイメージは守られました。昭和54年(1979)の市制90年記念「芸術の森推進事業」、および平成元年(1989)市制100年記念「彫刻のあるまちなみづくり事業」、このふたつの記念事情を通して、高岡古城公園内や商店街の街角・アーケード下には、地元作家のみならず全国の造形作家の手による様々な銅像が設置され、近年にいたっては「パブリックアート構想」の名のもと、さらにいくつかの野外彫刻作品が街中に誕生しました。これらの作品は町の景観の中に溶け込み、新たな「高岡らしさ」を創出しています。
 ここでは、高岡の銅像づくりの歴史をたどりながら、なぜ高岡で銅像づくりが盛んになったのかを考えて見ます。それから、ごいっしょに街中の銅像をウォッチングも楽しみましょう。
 それから、それから、今回の懸賞クイズの賞品は、当社がこの秋発売する「越中高岡コロッケソース500ミリリットル」です。「味噌醤油の醸造元がソース?そんなもん、うんまいがけ」とおっしゃるかもしれませぬが、当社では50年前からソースの製造販売を手がけているのです。このたびは、高岡の新しい特産品コロッケにベスト・マッチするソースを考案、食欲の秋に向け発売を開始します。ぜひとも、お試しあれ。

Copyright 2006 YAMAGEN-JOUZOU co.,ltd. All rights reserved.