(ニ)船頭たちとの連携 船問屋の台頭
 さらに、高岡関野神社石灯篭の一基の片面には、世話人や石工の名前とともに15にも及ぶ積船と船頭の名前が刻まれています。船の印も刻まれており興味深いです。
 これらは、この石灯篭を運んだ船というよりも、大阪堺商人と高岡商人とを結ぶパイプ役として常時縁故のあった船であり、また中には前出の高岡綿問屋たちがオーナーを勤める持ち舟もあったのではないかと思います。高岡は直接海に面する町ではありませんが、先に申しましたとおり、廻船を持つ商人も多くいたのです。福岡屋や高辻屋だけでなく、綿儀や綿平ももちろん渡海船を持っていました。そして、伏木などの港町には、沖船頭から身を興し自らの持ち舟で買積みした商品を売りさばく、有力な船問屋が台頭していました。高岡と伏木。綿問屋と船問屋そして航路を熟知した敏腕の船頭たち。この連携によって上方との交易が円滑に行われていことをこの灯篭は語っています。
高岡関野神社石灯篭
積船
 
城安丸
茂八
七良丸
七左衛門
正寿丸
善治良
加得丸
伊三良
栄得丸
吉左衛門
淑徳丸
與兵衛
辨天丸
安左エ門
戎丸
又三良
徳兎丸
升(平?)四良
加得丸
冶良七
神足丸
七兵衛
徳丸
伝三良
清安丸
六三良
金重丸
治三良
貴宝丸
右衛門
  世話人 堀半    発起世話人金屋冶助   堺 石工 新三良
 ここに名を連ねる15に及ぶ積船はどこの船なのでしょうか。
世話人 堀半とあるのは伏木湊古府に居住した船問屋堀岡屋(堀川)半左衛門。堀岡屋は伏木湊を取り仕切る総元締のひとり。天保(1830-)ころより頭角を現した新興船主でした。幕末から明治にかけては伏木湊一の威勢を振るいました。15の積船は船問屋堀岡屋半左衛門傘下の船だったのでしょうか。
 船と船頭さんについては、あまり資料となるものには尋ねあたりませんでしたが、伏木金毘羅社の玉垣と有磯正八幡宮の灯篭とを紹介します。

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