追記2 和泉木綿の会 平山貴夫さん
 江戸時代の泉州地方は綿花栽培とそして『和泉木綿』の名で親しまれる綿布生産の一大産地でした。しかし明治に入り綿花が輸入されると、泉州の綿花産業は衰退し『和泉木綿』は姿を消し幻の地場産業となりました。その一方で泉州の木綿産業は輸入綿使用へと切り替わり、機械紡績・力職機が導入されて、そのまま近代産業として発展しました。泉州は日本の綿織物の約50%を生産する日本一の産地となったのです。この泉州堺で幻の地場産業『和泉木綿』の復興を志す平山貴夫さんを紹介します。

 平山貴夫さんは大学卒業後、80年続いた家業の平山繊維(株)(木綿製品製造業)を継ぎました。平山繊維(株)はマイコン制御の整った高性能の織機を導入し、高い技術力を保持する先進性あふれる企業です。主力取引先は京都の大手呉服商社。小幅業界では国内トップの高品質を誇ります。

 今から10年前、平山さんは『和泉木綿』の復興を志すきっかけとなった一言に出会ったと言います。それは「大阪は伝統文化を大切にしないから、伝統文化は育たない。」という東京の業者さんから言われた痛烈な一言。確かに大阪文化は新しいものを様々に取り入れる「コテコテ文化」などとも申します。平山さんは大きなショックを受けました。また、「ゆかたの色や模様には意味があることを知っていますか?」と聞かれ、即答できなかったという平山さん。ゆかたや和泉木綿の歴史の知識が十分でないことを痛感し、ゆかたの前段階である「織物や綿」の知識も必要だと悟ったそうです。 そこからの平山さんは勉強につぐ勉強。和泉木綿の背景にある歴史や伝統文化を夢中になって調べたそうです。そして、蓄えられた知識は、『和泉木綿』復興の夢へとつながりました。

 平成8年に同業者有志を募って「和泉木綿の会」を結成した平山さんは、ボランティアで堺市の小学校をまわって和泉木綿の伝統産業・文化を教え始めました。「伝統産業の副読本を読む。見学をする。これでは子供に伝統産業や文化はわからない、語り継げない!」そう考えた平山さんは、「体験」を通して『和泉木綿』を伝承しようとしておられます。小学生の子どもさん自らが、綿を栽培する・綿を打つ・糸を紡ぐ・布を織る・布を染める――。今までに平山さんが講習に訪れた小学校は50校、講習に参加したお子さんはなんと一万人にも及ぶそうです。平山さん自身がワンボックスカーに手織り機を積み込んでの出前講習。しかもボランティアでの普及活動です。

平山繊維株式会社
和泉木綿の会事務局  〒590-0813堺市神石市
TEL.0722-61-9429  FAX.0722-61-9426
http://www.kisweb.ne.jp/sakai/
平山さんのホームページ。和泉木綿の歴史がわかりやすく解説されています。

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