(イ)綿は、商都高岡を支えていた
 高岡関野神社の石灯篭は、慶応2年(1866)に奉納されたものが、1対2基あります。2基とも正面には高岡の綿問屋たちの名が、福清、横吉、綿儀、高與、糸仁、綿平、高八と書かれています。また、一基には、木市 酢善 泉與 油吉 木與 そして帯三 綿仁 忠清 忠清 小久 萬甚 具佐 櫻正 櫻正 松新 紺市とあり、大坂・左海(堺)の地名が見られます。木市以下は大阪と堺の人です。高岡商人が7人、大阪と堺の人が16人。
 高岡の灯篭にあるたくさんの大阪・堺の人の名。しかも今から140年ほど
綿の実
前の幕末期の灯篭に。地元高岡の商人だけでなく、16名もの大阪・堺の人の名が。高岡商人はこの大阪・堺の人たちとどのような交流があったというのか。何の目的で彼らは、高岡の地にかくも立派な灯篭を建てたのか。この人たちは誰なのか。最初、この灯篭を見た私は、不思議に思いました。

文政7年(1824)加賀藩から綿取引の独占権を与えられ、加賀・能登・越中において唯一の綿場が設置されていた高岡は、日本海側随一の綿の集散地でした。江戸中期以降においては、綿産業が商都高岡を支える重要産業だったのです。
綿屋、布屋、綿打屋、糸屋、太物(木綿の反物)屋、足袋屋、帯屋、晒屋、染物屋、仕立て屋・・・そして数知れない糸紡ぎ女・機織女たち。高岡には綿との関りを生業としている人が実に大勢居たのです。ところが、高岡で綿は収穫されません。麻の原料・チョマは古い時代から栽培されていましたが、綿は栽培されていなかったのです。
高岡の綿問屋たちは、関西地方で収穫される原綿を買取り、綿打ちをし、地元の在郷綿問屋や小売商人を通じて、高岡の町屋はもちろん新川地方・能登地方・砺波地方などの農家へと綿を卸していました。そして、綿は紡がれて綿糸となり機織されて白木綿に仕立てられていました。綿糸や白木綿を集荷し、それを染色加工して販売するのは高岡商人たちでした。
そうです。16名の大阪堺の人は、関西地方の綿商人たちだったのです。高岡に原綿を売っていたのですね。当時関西は、和泉・河内・平野などに綿が広く栽培される綿の一大産地。江戸・東北・信州そして北陸地方にも大量の綿を移出していました。
高岡商人が仕入れた綿は、地元の各地で白木綿に仕立てられました。その中でも特に有名だったのは「新川木綿」。新川は、「あらかわ」ではなく、「にいかわ」とよび現在の滑川市・魚津市などの一帯を指します。当時、信州松本地方や江戸で「新川木綿」はとても人気が高かったそうです。

綿の荷姿 銭屋五兵衛記念館
 ところで、この新川地方には「夜なべ宿」という風習があったのだそうですよ。「夜なべ」は深夜まで仕事をすることで、今でもよく富山で使われる言葉です。「残業」のことを「夜なべ」と言う人もいますね。新川地方では、昼間の農作業を終えた若い娘たちが夜になるとこの「夜なべ宿」に集まって綿から綿糸を手紡ぎする仕事をしました。偉いですね。
 手紡ぎは、大変に単調な仕事。昼間の農作業の疲れもあって娘たちは、じきにうとうとと眠くなってしまうのです。そこで、村の男若衆たちは考えました。「おらっちゃらっちゃ(僕達など)は、お笑いライブをやって娘たちの眠気覚ましをしよう。」こうして、娘たちの労働補佐を口実に、娯楽とナンパそして営業妨害とが交じり合った郷土芸能が誕生したのです。村の男若衆は、手ぬぐいのほおかむりをして尺八や胡弓や鳴り物を手に夜な夜な「夜なべ宿」に参上しました。そして、放送禁止語句も交えた即興の歌と踊りで娘たちを楽しませたのです。尺八・胡弓・鳴り物――「越中おわら節」のルーツも実はこのような「お笑いライブ」にあったと言われているのですよ。一説には「お笑い」が「おわら」に転化したそうです。
「夜なべ宿」は若者文化の発信基地のようなものだったのですね。

高岡の藍染
 また、脱線です。話しを戻しましょう。さらに高岡では、この白地木綿に染を施す染物屋が多く居住し、「高岡染」の名で知られた染色業が盛んでした。このことは、「発酵の国ほくりく」でも書きました。高岡の古文書類に残る屋号には、染物に関るものが多く、紺屋・梅染屋・赤刷屋・茜屋・藍染屋・染屋・紅屋・晒屋・渋屋などがみられます。高岡で染色業が盛んであったことが伝わりますね。また、今日の紅谷さん、紺谷さん、晒谷さん、染谷さんなどの姓は、かつての職業屋号に由来するもの。これって、高岡に多い姓でしょ。
 高岡染の綿布は主に着物の裏地に使用され、「高岡裏地」の名で広く販売されていたそうです。肌触りのよさや丈夫さ堅牢さがセールスポイントだったということでしょうか。
 という訳で、この高岡関野神社の灯篭はかつてさかんに行われていた大阪堺と高岡との綿取引の一場面を今に伝えるものなのです。綿のとれない土地に「綿商人の町」が出来てしまうこの不思議。まさに「北前船ミラクル」というしかありません。海洋交易の発展がもたらした所産です。まず、高岡の綿商人について調べてみました。

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