― 灯篭が物語る北前交易の歴史 ―
はじめに
 高ノ宮の呼称で高岡の人々に親しまれている高岡関野神社。高岡に数ある神社の中でもこの高岡関野神社は別格。古より高岡の町衆たちの心の拠り所として信仰を集めてきました。毎年5月1日に行われる高岡最大の祭礼・高岡御車山(みくるまやま)祭りもこの神社のお祭りです。
 関野神社は、慶長9年(1604年)射水郡水戸田村(現在の大門町)の熊野神社の分霊を高岡上関村に勧請し、熊野宮と称したのが起こりだそうです。後に、高岡神社・加久彌(かくみ)神社と合祀され、現在地に移されたのは文化3年(1806年)。今から約200年前のことです。江戸中期以降の高岡商人たちの大成長に伴い、関野神社も立派な形にリニューアルオープンしたのです。鳥居は文化13年(1816)に建てられたもの。文政年間奉納の灯篭も見られます。
走行するなにわ丸海の時空館より
 文化・文政期は、全国的な規模で商業活動がさかんになった時代でした。各地で様々な特産物が誕生しその交易が活発に行われるようになりました。 この交易の発展に、大きく貢献したのが菱垣廻船・樽廻船・北前船・各地の地回り船など、全国ネットで張りめぐられた航海輸送でした。そして全国各地には、海上交易で財をなした豪商といわれる商人たちが誕生しました。
高岡の町においても、商人たちの成長はめざましいものでした。文政3年(1820)に再建された瑞龍寺山門。今日では国宝の指定を受けていますが、この山門再建は当時の高岡商人たちからの多額の寄進があって成されたことが知られています。関野神社の造営・瑞龍寺山門の再建はともに、文化文政期の高岡商人たちの成長の証しなのです。



明治6年に描かれた関野神社祭礼図。文化13年造営の鳥居が実に巨大。
 この関野神社、高岡の人でも境内をゆっくり観察してみたという人は少ないと思います。御車山のお祭りか正月の初詣・入試の合格祈願のときに訪れ、「無病息災で過ごせますように」「味噌醤油が売れますように」「試験に合格できますように」と神様に好き勝手にお願い事をし、時には間違えて「南無阿弥陀仏・・」と言ってしまったり(私だけ?)。で、香具師のお好み焼きや宮田のタイヤキを買って帰るのが通常パターン。
 「関野神社ちゃ、どんな神社け?」
と、聞かれても
 「関野神社ちゃ、あんた・・・・・・・・・高ノ宮やちゃ。うん。」
と、答えるしかないのです。
知ってたかな? 関野神社の祭神
 
 しかし、その境内には高岡の町衆たちが歩んできた歴史が随所に刻まれているのです。今回は、この高ノ宮こと高岡関野神社の灯篭に足を止めてゆっくり観察してみましょう。今まで知らなかった高岡の町衆たちの歴史が見えてきますよ。
 この高岡関野神社には、何対かの灯篭があります。その中の一対の石灯篭。掲載写真で見ると鳥居の内側にある一対。写真では小さく見えますが、高さ4メートルほどの立派なものです。この灯篭に刻まれている謎の言葉「福清 横吉 綿儀 高與 糸仁・・・」
 何だ?こりゃ。
 お経?いや、ここは神社。お経はないでしょう。
 では、人の名前?とすれば、中国人。環日本海交流かい?
 さらに、暗号のような謎の文字は何なのか?
 記号のような、幾何学模様のような、ハングルともちょっと違う。
 実は、これ、幕末の時代に、綿を商って活躍した高岡綿商人たちの名と家の印なのです。「綿問屋中」と書かれているでしょ。名前は、縮めた短縮呼称で書かれているのです。
 今でも、キムタク、ブラビなど日本人は人の名を縮めて呼ぶのが好きです。商人たちもそうした縮めていう呼び名を使っていました。確かに、昔の人の名前は長いですからね。商談中に「○○屋○○右衛門」「○○屋○○兵衛」なんて長々と呼んでいたら、じれったくってまとまる話もまとまりません。そこで商人たちには短縮呼称が好まれたようです。例えば、筆頭の「福清」は、岡屋右衛門さんの短縮。「ふくせいはん」と呼ばれていたのです。
 ちなみに室屋長兵衛も室長(むろちょう)と短縮呼称で呼ばれる場合が多かったようです。かつての店の看板にも「室長」と書かれていました。このサイトのアドレス むろちょう・どっと・こむもこの短縮呼称に由来するものです。長平衛の家の印は山の下に元ですね。
 ここに名を連ねる綿商人たちとは、どんな人たちだったのだろう。それを糸口に高岡綿商人たちの歴史を探っていきたいと思います。
 「そんなもん、調べても分るわけがないだろうが、皆ただの商人だぞ。
  長兵衛よぉ。」
 「調べても意味ないし。」
 「長兵衛さん、今回はますますオタク度がアップしているぞ。」
 「そんなことより、味噌の効用でも教えてくれ。みのもんたみたいにさぁ。 味噌を食べて長生きする方法を教えろ。」
と、言われそうですね。
 実は、うちの社長からも、もっと一般的な内容にするようと釘を刺されているのです。社長もみのもんたが好きなんです。
 「オタクでは、だちかんぞ(埒が明かないぞ)。みのもんたで行けー」ってね。
 しかし、高岡が「綿の町」であったという記憶、綿交易によって栄えた町だったという記憶が薄らぎつつある今日、もう一度その記憶を呼び覚ます契機をもちたい。幕末の時代、高岡の町で綿商いにその生涯をかけた商人たちのことを書き記したい。そのような気持ちを強く持ち、この題材を取り上げた訳です。
 今回もまた懸賞クイズがありますよ。今回の当選者には、だし入り昆布つつみ味噌をプレゼント。使い易いだし入り味噌をさらに昆布で巻いた天然昆布エキスたっぷりの味噌です。富山では仕込んだ自家製味噌の表面に昆布を敷く習慣があるのですよ。これも富山の昆布食文化のひとつですね。この習慣にヒントを得て作った商品が、これ。香り豊かな米こうじみそに昆布風味が加わってなんともよい味。当社の自信作です。
 このお話の中にクイズの答えはあります。ぜひ、クイズにチャレンジして下さいね。関心のない方も一読お願いしますよ。高岡市民の方は、・・・・・必読です。宜しく、頼みます。

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