からいもせんとじんだご(神団子)汁
 唐芋(さつまいも)を刷り下ろして水にさらすとでんぷん粉がたまります。このでんぶん粉は「せん」と呼ばれます。「せん」は、保存が利き栄養価も高いので貴重な食料でした。「せん」を水でこねると白いこんにゃくのようになります。このままでは何の味もないので醤油・砂糖でしっかり味をつけます。これが、隠れキリシタン料理の「からいもせん」。プルプルしていて、もちもちと歯ごたえがあり、満腹感も充分です。最初見た時、「おー、これは能登牛肉のステーキか! 」と心躍る思いでしたが、残念ながら違っていました。誠に浅ましい話で恐縮です。或いは、牛肉ステーキに見立てた擬似料理なのかもしれませんね。
 じんだご(神団子)汁は、さつまいものでんぷん粉「せん」にさらに「あるもの」混ぜてこね、団子にしたものを味噌汁にしてあります。「あるもの」について御住職は教えてくださいませんでしたが、米粉・餅粉・わらび粉あるいは、稗・粟な・麦どの雑穀の粉でしょうか。餅のような弾力性がありました。御住職によれば、「じんだご汁は、正月行事の雑煮に見立てたもの」とのこと。「じんだご」は餅の擬似料理です。
 さつまいもの食文化は、実にバラエティに富んだものです。農山漁村文化協会編「日本の食生活全集」から察するに、特に鹿児島県・長崎県の食文化では、さつまいもが大きな意味を持っていると思いました。これらの地域の離島では、さつまいもが主食でした。いもを煮たり焼いたり米に混ぜたりするだけでなく、「干いも」「せん」「せんもち」「せんだんご」「からいもあめ」「芋焼酎」「芋酢」「かんころもち」「かんころあめ」・・・、おろしがねで摺る・水で晒す・乾燥する・発酵によって糖化する・アルコール発酵させる・酢酸発酵させる・・・先人たちは実に多くの工夫を凝らした調理法を編み出しさつまいもの食文化を築き上げました。
 北陸にさつまいもが伝わったのは、幕末の頃だといわれています。銭屋五兵衛や富山売薬らによってさつまいもの苗が薩摩からに伝えられたそうです。北陸においても、飢饉に備えてさつまいもの栽培は盛んに行われ、人々の大切な栄養源でした。しかし、ふかす・焼く・煮るが一般的な調理法であり、鹿児島や長崎のように工夫を凝らした活用法というのは、私の知る限り見られません。
 日本における、さつまいもの発祥地はひとつに鹿児島薩摩だと言われています。全国的にさつまいもの名で知られているくらいですから。一説によると、宝永2年(1705)に現在の指宿市山川で漁夫をしていた前田利右衛門という、我らが前田利長公を町人にしたかのような名前の人物が琉球より密かに芋の苗を薩摩に持ち帰って植えたのが始まりであるとか。さつまいもを鹿児島では「カライモ」と言いますが、前田利右衛門さんは「カライモオンジョ」(からいもじいさん)と呼ばれ慕われたそうです。また、一説によると、慶長14年(1609)に薩摩藩が琉球に出兵した際に、さつまいもの苗を持ち帰ったとも言われています。
 一方長崎では、元和元年(1615)、英国人ウイリアムアダムス改め三浦按針(あんじん)によって初めて琉球よりもたらされたと伝えられています。
そのさつまいもが全国に普及するのは、大岡越前守によって登用され、暴れん坊将軍徳川吉宗の後援を得て、青木昆陽が甘薯栽培を成功させた後のことと考えられています。昆陽が甘藷=さつまいもの栽培に成功したのは元文4年(1739年)のこと。
 さつまいもは、アメリカ原産の作物。コロンブスが1492年にアメリカ大陸に至った際にさつまいもを持ち帰り、スペイン女王イザベラに献上したことをきっかけに、世界帝国スペインの領土に広く伝えられたとされています。東南アジアへは、ルソン島・中国福建省と伝播しそして琉球へは慶長2年(1597)にさつまいもが入ってきたそうです。
 しかし、近年はアメリカ大陸発見の年代について異論が唱えられています。
 最近注目されているギャビン・メンジース氏の著作によればコロンブスより70年も前の1421年、中国人によって新大陸アメリカは発見されていたそうです。
 ―――永楽帝に仕え南海遠征を行ったという鄭和の艦隊62隻は、1421年3月から1423年10月までにインド洋から南アフリカへ達した。その後、鄭和艦隊の一部は、インド洋で分割され、その一部はオーストラリアを発見し南アメリカからカリブ海へ到達。航海図も制作したという。コロンブスは1428年にベニスで、この中国艦隊の航海図を入手。航海図を手に新大陸へと出帆した――――
 実に興味深い考察ですね。メンジースによれば、新大陸発見は1421年。とすれば、さつまいもだって従来考えられていたずっと早い時代に中国経路で日本に伝播していたかもしれませんね。北陸への伝播についても、幕末以前に一度 野性種に近い芋が入ってきた経緯があるのかもしれません。またまた、想像が過ぎてしまったようです。
 話は「せん」の話に戻りますが、このさつまいもから「せん=澱粉」をとる調理法は、沖縄や奄美の島々・鹿児島・長崎・島原・五島・対馬などで発達している手法です。さつまいもをおろしがねですりおろし、よく水に晒して澱粉を取り、乾燥させたものが「せん=澱粉」です。
「せん=澱粉」作りの手法は、さつまいもが早期に伝播した地域で発達していると見てよいでしょう。「せん」作りは、さつまいもの栄養分を長期保存するために行います。
 「せん=澱粉」は、何もさつまいもでだけ作るわけではありません。ワラビ・葛・くるみ・栃・どんぐり・かたくりの根・ジャガイモ・タロイモ等も「せん」にして保存しました。この場合、割砕したものをよく水で晒します。晒すのはアク取りの意味です。充分に水で晒さなければ毒性が強くて食用できないものもあります。
 思うに早期に伝播した頃のさつまいもは、アフリカ・南米などに見られるキャッサバなどのように(キャッサバは土から掘出してよく洗い、細かく割砕した後、ザルにとってよく水でさらし毒性を除いてから乾燥保存します。キャッサバ澱粉をいれたスープは一般的な料理。キャッサバも芋焼酎のように発酵させて酒にして飲まれています。)、毒素があり晒すという下処理をしなければ食用できなかったのではないでしょうか。その名残がさつまいもの「せん」を作る食文化となって今も沖縄・鹿児島・長崎などの「さつまいも食文化先進地」に見られるのでは。後世、品種改良が進み食べやすくなったさつまいもが普及した地域では、「せん」をとる食文化が発達する必要もなかったのだと思います。
 能登のキリシタン料理に、さつまいもの「せん」を使った料理があることから、この地が「さつまいも食文化先進地」、つまり、本行寺には北陸の他の地域よりも随分早い段階に、品種改良以前のさつまいもが伝播したのだと考えます。
 からいもせんの隣はおなじみのヒロウズです。ポルトガル語で揚げ菓子をさすFillosが語源というのは有名な話。ポルトガルの揚げ菓子が、なぜか精進料理として定着したそうです。「がんもどき」とも言います。この皿は、メインデッシュというところでしょうか。

Copyright 2004 YAMAGEN-JOUZOU co.,ltd. All rights reserved.